iwata katayama kano moromoto

11月の例会は、滋賀県の甲賀市および湖南市、蒲生郡日野町において「地域No.1」の実績を誇る「びわこホーム」社長の高木光江様にご登壇頂きました。

最初にびわこホームとの出会いについてお話されました。

takagi1高木社長は高校を卒業後、地元日野町の農協(現JA)に入社、金融機関の窓口の仕事をされました。ただ、当時の農協の決まりで、女性は結婚をすると退職しなければならず、20歳で結婚された高木社長は就職して2年で退職することになりました。
ところが、結婚・出産の後に農協からパートとして戻ってきてもらいたいとの要望を受けて、再度農協の金融窓口の仕事に就かれます。しかし、金融窓口の仕事はパートであってもお金の計算が1円でも合わなければ帰れないということで、子育て中の身では続けられないと判断されます。
そんな折に知り合いの方からびわこホーム創業にあたって経理のパート事務員の仕事を紹介されました。そこで上田裕康社長(現会長)との運命的な出会いをされました。

入社当時の仕事はほぼ毎日「草刈り・木こり」でしたが、仕事が好きな高木社長はこれが苦ではなく、むしろ楽しかったと振り返られます。そんな熱心な高木社長は正社員になることを勧められます。しかし、当時は子育て中もあって気軽に休めるパートが好都合であり、また家族にもびわこホームで働いていることを伝えていなかったので、悩んだ末に家族に正社員になることを相談されます。

家族からは猛反対され、やるのなら仕事と家庭の両立を誰の手も借りずにやり切ることを条件として出されます。決意の固かった高木社長はその条件をのんでびわこホームの社員となられました。
とは言っても、仕事と家庭の両立は難しく、助けてくれる人がいない中で大変な苦労をされますが、それでも頑張れたのは当時の上田社長の思いに触れたからでした。

takagi2創業当時ということもありますが、上田社長は以前勤めていた農協の方とは違って社長らしくない社長、つまり上から物を言うようような人ではなく、社員と同じ目線で話をし、一緒に草刈りをし、でも「ここ一番」という時の力、思いは大変なものを持っているという方なので、高木社長は「一生ついていく」ことを固く決意されていました。

そんな大変な中で、事務経理の仕事から今度は営業の仕事まですることになります。ある日、いきなり上田社長からお客様のところへ不動産の契約に行くよう命じられ、当時はまだ契約を交わす経験が無かったにも関わらず、とにかく出先で夢中で契約を交わすことができました。
それは、経理の仕事をしながら上田社長がお客様と商談されているところを間近で見ていたからできたのだと高木社長は説明されました。当時は上田社長がトップセールスとして働いていましたから、高木社長は常にその姿を見て、「背中を見て」育てられたのだと言うことです。
同時に辛さの中にある「お客様に感謝される喜び」を味わうことで営業という仕事が好きになった、自分が営業を、人と話をすることが好きなのだということを上田社長が気づかせてくれたのだということでした。それは上田社長が当時の高木社長の「人となり」をしっかり見ていてくれたお陰だということでした。高木社長はこのことから「トップは社員さんのことをしっかり見て、可能性を見つけてあげなければならない」ということを学ばれました。

営業の可能性を開花させた高木社長はその後「7年連続MVP」という未だ破られていない輝かしい成績を収められます。
しかし一方で、ますます家庭との両立が難しくなり、特に土日に休むことができなくなったことでお子さんとの約束を守れないということが多々有り、お子さんからは「嘘つき」と言われ、ご主人からは「母親失格」という烙印を押されてしまいます。本当にこの当時は辛かった、逃げ出そうかとさえ考えた、と涙ながらにお話してくださいました。
そんな時に日創研で会われた湯ノ口講師から「愛情は時間の長さではなく密度」だということを教えてもらい、お子さんたちとの密度の濃い触れ合いを心がけることで乗り切ることができました。

takagi5高木社長がこれだけ辛い思いをしてまでも続けられる理由とは何か、それは上田社長への思いだけなのです。
上田社長は「人が良い」ので幾度と無く人に裏切れ、その辛い目に会った姿を高木社長は何度も見ていました。だからこそ、自分の可能性を見つけ出してくれた上田社長を自分だけは裏切らないと心に決めたからこそ、何があってもやり通したということでした。

売上が順調に伸びていくことで、社員さんの数も増えていきました。
少ない人数の頃は何も言わずとも同じ考え方、価値観の中で働くことができましたが、人数が増えてくると色々な考え方、価値観を持った人が集まってきました。
トップセールスだった高木社長は経理と営業に加え人材教育もすることになりました。お店を立ち上げ、その店長として仕事を通して人材教育を始められました。
高木社長はそのお店である一人の女性を社員として知り合い、育てられました。入社当時のその女性は「出来の悪い」社員で、読み書きから社会人として厳しく躾まで教え、仕事をゼロからたたき上げられました。最後には大きな利益を上げ店長にまでなり、素晴らしい部下として成長させることができました。
しかし、その厳しい指導・教育が元でその女性は会社を去ることになり、高木社長は自分の人材育成について悲しみとともに学びを得ることができたということでした。

高木社長の人材教育の考え方は「まず社員さん」であるとおっしゃいます。
業績を上げられる人を育てるのは当然ですが、業績を上げることばかりを考えるのではなく、社員さんが気持ちよく働くこと、仕事を好きになることで業績は自然と伸びてくるものだと考え、「社員さんに光を当てる」教育をされています。
これも元々は、上田社長から可能性を見つけだし、仕事や立場をどんどん与えてもらえたことで自分が伸びていくことができた、「体を張った人財育成」というのが上田社長から教えてもらったことだということでした。

びわこホームの経営理念は
「私達は、住生活感動業を通して人と地域(まち)の幸せを築きます」
より具体的に落とし込まれたものが使命・目的で
「私達は四つの喜びと、四つの幸せを叶える為に命を燃やし続けます。
●社員さんの喜びと幸せ
●協力業者様の喜びと幸せ
●お客様の喜びと幸せ
●地域(まち)の幸せ
びわこホームで働く、関わる人がびわこホームの仕事を通して喜びと幸せを得られるようになることで、お客様や地域に喜びと幸せを与えられることができる、というものです。
だからこそ、高木社長は人財育成に命をかけて取り組むのだと教えて下さいました。

takagi4高木社長は上田社長を支え続け「日本一のナンバー2」になろう、あり続けようと考えていました。そのために、上田社長の理念を通して人財育成に命をかけて取り組み、会社を発展させていこうと考えていました。
でも、上田社長にもビジョンがあり、上田社長が50歳になった時に高木社長をびわこホームの社長になってもらう、高木社長が50歳になった時に法人3社のグループの社長になってもらう、というものでした。
高木社長は断り続けていたということです。
会社の決まりで日創研のTTコースは経営者になるものが行く、となっていたので、上田社長からの受講要請も断り続けていたということでした。

それでもTTコースを受講したのは「社長の気持ちをわかるため」だったからだということでした。
人財育成は上田社長の考え、価値観を伝えることであるので、これまで人財育成で苦労した高木社長は「社長の気持ちがわからないとうまく伝えられない」ということを痛感し、受講を決意されました。

高木社長はTTコースを命がけで受講したとおっしゃいました。
社長の気持ちを、思いを知るために受講するのですから、必ず研修の中では社長にならないといけません。社長になったら真剣に本気で取り組まれ、その大変さを味わいました。そこで初めて知ったのが「経営者というのは孤独」ということであり、そのことで上田社長を支えようという思いが一層強くなったということでした。
さらに、この命がけで取り組まれたTTコースの中で高木社長は正に「命」に触れる体験をされます。それは研修最後の卒業式の前日にご長男が事故に遭われて重体となり、卒業式とその前の経営発表ができないという事態に見舞われたのです。
命がけで取り組んできた研修の最後の経営発表、社員さんにも手伝ってもらって作ったチャートも無駄にできないということもあり、高木社長は断腸の思いで重体のご長男に「研修に行ってもいいか?」と尋ねられました。するとご長男の口から「頑張ってきたんやから行ってきて、俺は大丈夫」という言葉をもらいます。小さい時には「嘘つき」と言っていた息子さんが今高木社長のことを理解し応援してくれる、「愛情は時間の長さではなく密度」だと言われてやってきたことが間違っていなかった、自分が命がけでやってきたことが間違っていなかったことを知った瞬間でした。
経営発表を無事やり切り、全体の卒業式には出られませんでしたが、自分が社長を務めた社の中で卒業式をしてもらい、卒業証書を無事に受け取り、帰ってこられたそうです。

takagi3研修が終了すると上田社長から改めてびわこホームの社長就任の要請がありました。TT研修終了後でも初めはやはり断り続けていたとのことでした。
高木社長はナンバー2には自信があるが、知識や教養、戦略といった経営者に必要なものを持っていない自分が社長になったら会社を潰してしまうと考えていたからです。
そんな高木社長に上田社長は「知識や教養や戦略を持った者は外から金を出せばいくらでもいる。でもびわこホームの理念や魂を持ち、社員に伝えていけるのはお前しかいない、だからお前に社長を託したい」と訴えました。
この言葉で高木社長は自分が考えていた事が間違いであり、経営者、事業継承者に必要なのは知識や教養や戦略ではなく「会社の理念と魂」であることを理解されます。

高木社長が上田社長から教わった理念経営の真髄は「経営者の率先垂範しかない」ということでした。理念は額に飾って読み上げるものではなく、理念が何を語っているかを現場へ落としこむこと、トップが範を示すことで理念は浸透する、それこそが理念経営なのだということでした。

上田社長は高木社長に対して「あれやれ」「これやれ」と言ったことはなく、教えたことはなかったそうです。ただ、色々な現場に一緒に連れて行き、横で色々な姿を見せられました。商談している姿、謝っている姿、土下座している姿も見ました。社員さんを守るために走り回る姿、常に体を張って、身体で感じることで教わり、これが真の人財育成なのだということを学ばれました。そしてそのびわこホームの魂・理念を守っていくことが事業継承者である高木社長の使命だと覚悟を決められました。

shajihariki講演後の質疑応答では参加者から「心が震えた」という意見が誰からも聞かれました。
質問に答える中で、社長に就任される時のお話をしてくださいましたが、社長になることについて家族に話をした時に一番に応援してくれると言ったのが、入社当時に一番反対していたご主人だったそうです。今では、家族が全員支えてくれていて、高木社長のご両親のお世話までして応援してくれているとのことで、本当に感謝しか無いとおっしゃっていました。

講演は本当にパワフルで心に響く、本当に心が震える、多くの方が涙した素晴らしい講演でした。

例会後の懇親会にも多くの方が参加して頂き、まだまだ聞き足りなかったお話を多くの方が高木社長に質問をされ、大いに盛り上がりました。
特に参加された女性幹部の方にとってはとても勇気づけられるお話になったのではないでしょうか。

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高木光江社長、本当にありがとうございました。

また、参加してくださいました会員の皆様にも感謝申し上げます。

 

 

次回は本年度最後の例会です。
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奮ってご参加下さい!!