何でも良いから皆でワイワイやれる仕事

今回の講師である川中英章さんは広島経営研究会の会員で、代表を務める株式会社EVENTOSさんはメインが飲食物小売業のいわゆる仕出し、ケータリングサービスを手がけています。
それ以外にもレストランや自分たちが提供する食材の生産、農業も手がけています。

川中講師の実家は両親も祖父母も教員という家系で、川中講師も小さい時から教員になるために勉強をするという環境の中で育ち、大学卒業後は大学に4年間勤めました。
ところが、大学では40歳までは会議にも出られない、つまり何の意見も言えない、ただ黙々と決められた仕事だけをするという職場でした。そんな環境に川中講師は我慢できず、上司と揉めて飛び出すように大学を辞めてしまいました。

自分で事業を始めようとした川中講師の頭にあったのは、この大学での体験から若い人が何でも言い合えるような、若者が集ってワイワイ言いながらやれる会社にしたい、ということだけで、事業は何でも良かった。当時はバブルの絶頂期だったので、広島でもたくさんのイベントが開催されていましたから、社名の通りイベントを手がける会社を起こすことになりました。

とは言え、資金が無いので、大手広告代理店の下請けの下請けから頼まれたことを何でもやるという「便利屋」のような仕事から始めました。イベントで使用する垂れ幕や小道具の手配を頼まれればそれを手配してくるという仕事ですが、上から利益を削られていくので一番下で請けているところはあまり儲からない仕事でした。
その中でもイベントで必要とされるお弁当など飲食物だけは儲けがあったため、次第に飲食の事業が中心になっていきました。

当時は大きなホテルも建ち、オープンする度に「オープン景気」を狙って若いコックさんが集まってきました。オープン当初はイベントやお客様も多いので仕事がたくさんあり、残業代も増えて給料も多くもらえるからです。
しばらくして客数も落ち着いてくると仕事が減り、同時に彼らにとって見れば「給料が減る」のでまた別のホテルに移動する、というのが業界で常態化していました
川中講師は、そんなホテルに出向いては、そんな不満を抱えた若いコックに声をかけて自分の会社に誘っていました。これが事業を始めた頃の社員さんの採用活動でした。

でも、資金が無いので調理師を集めても厨房がありません。いろいろなところに声をかけて厨房を探していると、以前勤めていた大学の理事長さんから突然の電話が入りました。理事長さんは川中講師が厨房を探し回っていることを知り、空きの出来た学食の厨房を貸してくれるというものでした。
これで人も場所も揃って、ケータリング事業を始めることができました。

宴の後の紆余曲折

当初は新しく建ったビルの落成パーティや当時広島と四国を結ぶ「しまなみ海道」が出来上がっていくころだったので、橋が一つ完成する度にその記念パーティが行われ、千人規模のパーティでしたが必死で取り組んでいきました。

特に多かったのが大手の金融機関などが行うクリスマスパーティーや新年会でした。バブルが崩壊するまでこういった派手なパーティーが行われていたため、川中講師の会社の売上も順調に伸びて行き、バブルが崩壊したとされる1992年がピークでした。

バブルが崩壊するとパーティーは行われなくなり、1994年にはゼロになりました。
仕事が減っていく中で社員である調理師さんから不安と不満が出てきました。残業代が減って給料が下がっていくことに対する不満もありましたが、より根深い不満がこの時に出てきたと川中講師は言います。
当時の川中講師は調理師でもなければ料理そのものに何の知識も興味もなかったと言い、キャベツとレタスの区別もできなければ「同じ様な野菜だからどちらでもいい」という価値観だったため、現場の調理師さんから不満が噴出しました。

そんな時に雑誌でソムリエのことを知った川中講師は、今から調理師になるのは難しいがソムリエなら勉強すれば資格が取得できる、料理やその味のことについてもわかるようになると考えました。その考えは当たり、ソムリエの資格を取得した川中講師に対しては現場の調理師さんから苦情がでることは無くなりました。
しかし、何も言えなくなったことで現場の不満は募り、現場の空気はさらに悪くなってしまいました。

また、ソムリエにはまった川中講師は高級なワインを仕入れては「後に値が上がる」と言っては売らずにしまいこむようになり、一時は数千万円分の「死蔵」がありました。
いずれにしてもバブル崩壊によって主力だったパーティーの仕事がまったく無くなってしまったので、別の事業を考えなければならなくなり、これまでの法人から個人の消費を狙うことにしました。ソムリエの資格を取ったので、ワイン専門の居酒屋を始めることにしました。

当時の広島にはまだソムリエのいる居酒屋はなかったので大評判となりとても繁盛しました。成功に気を良くした川中講師は、勢いにまかせてホテルからどんどん人材を引き抜き、店舗数も一気に増やし大きくしていきました。
ところが、ホテルによって給料も調理の仕方も違い、当然価値観も異なる人達の寄せ集めであったため、現場では経歴の違う調理師間でいざこざが絶えませんでした。人気のあるお店なので時期によっては1日中客足が絶えないほどですが、現場が揉めるので料理が一向に出てこないという有様。
その上、構造的に売上が上がるほど赤字が増えていくようになっていたため、頑張っても赤字が増え続け、気づいた時には債務超過に陥っていました。
社員さんはどんどん辞めていき、多い時で60人いた社員さんは11人にまで減ってしまいました。お店も無くなっていき、最後は2200%もの債務超過になってしまいました。

そんな時に声をかけてくれたのが新しいスタイルの結婚式を提供するブライダル会社でした。調理師を抱えずケータリングによるパーティーを開くという形だったので、本業ということもあり喜んで引き受けました。この仕事がV字回復のきっかけとなりました。

誇りの持てる仕事にするために

この頃の会社は経営理念もビジョンも無いので社内は統率されておらず問題が頻繁に起こる、その対処ために走り回るという対処療法のような経営でした。
それ故、経営の勉強を勧められていましたが、勉強する余裕もないという状態でした。それが、ブライダル会社との提携業務によってようやく財務状況が改善されてきたことから、誘われて日創研で学ぶことにしました。

ビジネススクールを皮切りに可能思考研修と受け続け、そこで初めて社風という言葉を知り、経営理念やビジョンの重要性を知りました。
川中講師が日創研で学びだした2007年には、「使い回し」など食に関する事件が頻発しました。そのことから、「食のディスカウント」が始まったと川中講師は言います。
つまり安全性を含めて外食に対する期待値が下がり、会社での懇親会などの費用を抑えようとする傾向になっていいったということでした。
そこで川中講師が研修で作った経営理念は

『新鮮でワクワクする食の環境創りに貢献し誇りと「豊かさ」を育みます』

提供する商品の食材は必ず自分たちの目で厳選したものにすることで、そこに作り手である農家さんのプライドを守り、自分たちの自信と誇りに繋がっていくという思いが込められています。
そしてここから川中講師の農業へのチャレンジが始まりました。

最初は農家さんとの繋がりが無いのでスーツ姿のまま農家さんを回りますが、相手にしてもらえません。でも粘り強く自分たちの考えを伝えていると広島市が手を差し伸べて、農家さんを紹介してもらい、自分たちでも農業ができる土地を貸してくれることになりました。
川中講師が考えたのは、自分たちで使うものを自分たちで作るだけでなく、ハーブなどの利益の上がる野菜を自分たちで栽培し売って見せることで農家さんにとって「儲かる作物」ということを理解してもらい、その地域の農家さんとともにより豊かな農業を広めていこうというものでした。

1999年には2200%の債務超過だったところから、2008年についに債務超過を脱した川中講師は、「10年ビジョン」を確立します。
地域の飲食店はどこも売上が伸び悩み、またこの頃からすでに業界が「ブラック」というイメージが蔓延していたために疲弊し、自分たちの仕事に誇りが持つことができなくなっていました。
川中講師は、そんな飲食業をこれまでやってきて、苦労も多いけれども心から楽しい仕事だと思っていました。自分が良いと思う材料を探してきて、自分が美味しいと思う味付けにして、自分が気に入った食器や音楽で提供し、来てほしいお客様だけに来て頂いて喜んで頂く。こんな楽しくて素晴らしい仕事になぜ誇りが持てないのだろうか、川中講師は考えました。

「地域の同業他社のサービス向上に革新的刺激を与える会社になる」

そこで働く人たちが安心して働ける環境を作りながらも正しく利益が出せる経営というものを自分達が実現させ、同業他社に示していくことで業界全体を変えていきたい、というのが川中講師の思いでした。
具体的には、地域の農家さんとともに「儲かる農業」にチャレンジしながら、それを食べてもらえるレストランを作って料理を提供したり、食べて美味しかったものが買える市場を作るなどの環境を整備し、さらに作ったものを中心部に持っていって同業の人たちとシェアをするという社会的で持続的な取り組みです。
2008年にスタートしたこの取り組みは10年が経過した現在、そのビジョンはほぼ達成されているということでした。

自社と自身のことを教えてくれた経営計画書づくり

ただし、ビジョンも経営もすんなり進んだわけではありませんでした。研修を受けて今まで知らなかったことがわかるようになり、最悪期を脱した川中講師にとっては目の前が突然開けたような思いでした。それだけに、社員さんにも同じ様に研修を受けて変わってもらおうと考え、全員に可能思考研修を受けてもらうようにしました。

ところが、研修を受講する人が次々と辞めていき、いつしか研修受講が「肩たたき」のようにさえ言われるようになりました。
さらに、新卒社員を入れることにしたところ、以前のままの澱んだ社風にさらされ、こちらも入社後しばらくすると次々に辞めていくという事態になりました。

慌てた川中講師は日創研に助けを求め、「経営計画発表大会」に参加し初めて経営計画書を作成することになりました。これまでのことを振り返って経過をまとめ直し、様々な分析とアイデアから計画書を作成すると、色々な気づきが得られました。
でも、同時に「経営計画書は社員さんと一緒に作るもの」というフィードバックももらった川中講師は、2年目は早速大友光夫講師を呼んで社内で「幸せの心理学」を受講した上で全員で経営計画書を作ることにしました。

その時川中講師は大友講師からたくさんの指摘をされ、初めて自分の姿に気づかされました。トップダウンが激しく何にでも口を出すところや、社員さんの話を聞く姿勢がまるでできていないことに気づきました。
社員さんの面談をしても、相手が話し終わるのを待っているだけで、腕組み足組み、時計を見て携帯電話を見て面談をしている。これでは社員さんが本当のことを言うはずはありません。結局は川中講師の独り善がりの経営計画になっていました。

大友講師からアドバイスを受け、誰にでも同じことが聴けるように、相手が成長のための気づきが得られるようにキチンと「面談シート」を作って計画的に行うようにしました。するとようやく社員さんも「ちゃんと話を聴いてくれるようになった」と評価してくれて、本当のことを話してくれるようになりました。
そして、全員で作った経営計画書を初めて社内で発表することができました。

常識を疑うところにヒントがある

経営計画書を作成する段階で、現在減少傾向にある外食市場の状況を知った川中講師は打開策を求めて再度日創研の研修を受講しました。

その研修中に成功した起業を訪問するということがあったのですが、その時に訪問した会社は以前川中講師がイベントの仕事をしていた頃に付き合っていた業者さんでした。
記念撮影をする写真屋さんだったのですが、当時の写真屋さんの花形は結婚式の写真なのに、その方は葬儀の遺影が専門だといっていました。それだけに同業者からは少なからず蔑んだ目で見られていました。でも、だからこそ当時の川中講師のような便利屋にとってみれば融通が利く業者さんだったのです。

それが今では上場するまでに会社は発展、遺影に関して日本のシェア90%以上という会社に成長していました。
話を聞くと、当時から結婚式の写真はホテルや結婚式場の専属になるのが常識で、それだけに売上は安定し提携先のホテルがステータスのようになっていましたが、その実儲けの少ない仕事でした。
一方遺影については亡くなった方の写真がずっと残るわけですから、とても喜んでもらえるし、ライバルがほとんどいないから儲かる。当時から将来的には遺影のほうが需要は増えると考えていたから、どれだけ蔑まれようと逆にやる気になっていたということでした。

この話を聴いた川中講師は業界の常識・非常識に埋没してしまうリスクと発想を変えることによってチャンスが見えてくるということに気づきました。自分たちの仕出し業の常識について考えました。
それまでの仕出しというのはまず「冷めている」のが当たり前でした。また、パーティー用のオードブルに入っているものは揚げ物などほぼ決まっていて全体的に見た目が「茶色」。たまに緑色のものがあっても枝豆やパセリなどでほんの僅かしかありません。だからといって、それに文句を言う人はいませんでした。そういうものだ、それが当たり前、常識でした。けれども、お客様はそれで決して満足していたわけではありません、我慢して受入れていたわけです。
温かいものは温かく、新鮮でナチュラルな食材で彩豊に盛りつけされたものが届けられたら嬉しいはず。そういう仕出しが無いのはお客様が無いと思い込んでるからだ、そう川中講師は考えました。

その後、10年ビジョン達成に向けて農業などチャレンジをしている中、2015年いよいよTTコースを受講することになり、新たな課題、目標が出てきました。
特にこれまで苦労をしてきた社員さんとの関係や評価、社風など、人事における課題でした。
そこで、新しく人事理念と営業理念を掲げ、社員さんが向かうべき方向を明確に打ち出しました。するとそこから、これまで掲げていたビジョンには地域や同業他社への貢献は示されていますが、そこに社員さんの幸せが見当たらないことを指摘されたのです。そこで項目を追加することにしました。

「食を愛する私達が食を通して素晴らしい人生をおくる」

これら理念やビジョンが確立されたことで新生EVENTOSの事業領域が明確になりました。

「我社は食を通しての喜び創出業です」

参考になったのは、V字回復のきっかけとなったブライダル会社さんです。
今でこそ当たり前になっているウエディングプランナーとしての仕事に集中し、これまで結婚式に付随していた宴席における自前の調理師を抱えず提携会社に任せるというやり方が合理的で時代のニーズにも合致していた。
川中講師は、自分たちも同じ様にパーティープランナーとして、EVENTOSが最初の受け皿となってお客様の要望に合わせてパーティーを企画し、適したものを手配していくという事業を展開していくことにしました。

実はこのブライダル会社さんが後継者問題からある上場企業に社業を完全に売却しました。このことからまったく知らない人たちと下請けとして働くことになりました。
当然ながらその上場企業とはこれまでとまったく違う仕事の仕方で続けることになり、そもそも仕事の価値観が違うというところから大きな課題が生じています。

でも川中講師はこのことから、V字回復のためにこの企業との仕事を一所懸命に取り組んできただけに自分たちの思考が「B to B」になってしまっていることに気づきました。相手の要望に応えるだけで、自分たちが積極的にニーズを汲み上げて商品開発や宣伝活動するということができていませんでした。
今後新しいビジョンや目標、2022年までに「パーティー専門店になる」という目標を達成していくためには、自分たちの思考を「B to C」に転換していかなければならないということでした。

そのためには、現在のレストランも職人さんを生かすためだけのものではなく、パーティーを依頼して頂いた方のための試食の場として活用できるものにしなければならない。これまでのように、パーティーを頼んでも食事の内容が事前にはわからず、担当者が最後まで心配しなければならないということがないように、これまでの常識を変えて、よりお客様の側に立ったサービスに変えていかなければならないということです。

さらに、決まった行事の決まった内容のパーティーではなく、お客様の要望を聞いた上でベストなプランを提供する、「オーダーメイドケータリング」を確立させること。
ただし、これまでと同じ営業の仕方だとどうしても売上にムラができてしまうので、川中講師は全社が一丸となれる「経営計画発表会」という場を一つの定期行事プランとして集中して販売していくことにしました。そうすれば毎年発注が期待できる上に、会社によって行われる時期が異なりますので1年を通して計画的に受注できるようになります。一方で、これまでのような懇親会や交流会といった賑やかしだけの注文は受けない、捨てることにしました。

「夢添加」による持続可能な経営

川中講師は一昨年にある知り合いの方から「ビジョン等は素晴らしいが、会社である限りは就業規則をビジョンの下にしてはいけない、会社であるからには就業規則を一番上位概念だと捉えないといけない」と言われました。
ビジョンや理念がいくら素晴らしいものであっても休日がない、サービス残業が多いなどということでは「人を大切にしている」とは言えない。そして、その方に勧められて「教育基本法」を読むことにしました。

「教育基本法」とはその名のとおり、日本の教育に関する根本的・基礎的な法律であり、教育に関するさまざまな法令の運用や解釈の基準となる性格を持つことから「教育憲法」とも呼ばれているものです。そして、法を説く以前に日本における教育のあり方、理念が記されています。

川中講師は、この教育基本法を企業のあり方、働き方に置き換えて考え、そこから就業規則を改めることにしました。
この頃ちょうど若者雇用促進法が公布され、労働基準法の改正や「働き方改革」が叫ばれている時でした。そのため、この動きにいち早く取り組むことができたことから、昨年広島県の飲食業の中で働き方改革の取り組みを実践している企業の第一号として認定されました。

具体的には、EVENTOSさんでは有給休暇も含めた休暇をしっかり取れるよう、11ヶ月勤務、1ヶ月休暇という制度を設けています。これは、会社としても閑散期にまとめて休んでもらいたいということと、まとまった休みを利用して資格や免許を取得してもらい、様々な職種を身につけることでより豊かな仕事人生が送れるようになってもらうためです。また、職場近くの保育園と提携をすることで、子供と一緒に通勤して一緒に帰れるという体制を作ることで、育児をしながらでも仕事が続けられるようにもしています。

このように2008年からスタートした10年ビジョンですが、その時に作った「夢添加」というポスターに描かれた夢は、10年を経てほぼ叶えられているということでした。
ただ、最後の質疑応答の中で、今後予測されるリスクと決断という質問に対して川中講師は、現在課題となっているブライダル会社との取引きがいつまで続けられるかということとレストラン事業の将来をあげました。

苦境から立ち直り、10年ビジョンを達成した川中講師ですが、これまでのEVENTOSさんの歴史は正に「選択と集中」の歴史でした。少ない資源をどこに集中させるか、生き残るために儲かる仕事を選択してきました。
言い換えれば「必要とされない」リスクと戦い続けてきたということであり、それはこれからも続いていきます。
川中講師は日創研に出会って「経営計画書」を作成することで自社と自身のことがわかり、資源をマネジメントできるようになりました。そして将来リスクに対して資源の正しい「選択と集中」の決断をし、新しいビジョンに向けて計画的に取り組んでいけるということがよくわかりました。

 

川中英章講師、ありがとうございました。
また、ご参加いただきました皆様にも改めて感謝申し上げます。