来年215周年を迎える老舗の和菓子屋、亀戸天神の隣でくず餅を製造販売している「船橋屋」。
その八代目として今大変な注目を集めているのが今回の講師である渡辺雅司さんです。
現在は25店舗を展開し、来年2月にも表参道に旗艦店をオープンし、ここ2年のうちに30店舗になるということでした。
渡辺講師は大学卒業後は大手銀行で7年間働き、バブルが終焉を迎えた1993年に船橋屋に入りました。

今リーダーに求められるもの

注目の老舗和菓子屋

船橋屋さんが作られている「くず餅」は関西の葛粉で作る「葛餅」とは異なり、小麦粉からグルテンを分離させたデンプン質を発酵させて作ります。
江戸時代の頃、現在の江東区から千葉にかけての土地で良質な小麦が取れたことから、一帯の農家の人たちが小麦を蒸して作ったものをおやつとして食べていた。その過程で発酵されたものが出来上がった。それがとても弾力があって美味しいということで、現在のくず餅が生まれ、それを製造販売するお店の一つが千葉の船橋から出て亀戸天神の隣で商売を始めたのが船橋屋さんだということです。

このくず餅が現在注目されているのが、低カロリーで無添加、グルテンフリーの発酵食品であるというところです。小麦粉は様々な食品の原料であり、無くてはならないものですが、近年小麦粉によるアレルギー、その原因であるグルテンが問題視されグルテンを含まない、さらに無添加で作られる食品が注目されています。また、腸内環境を整えることから発酵食品も注目され、メタボリックシンドロームなどでも低カロリーの食事が求められていることから、それらをすべて兼ね備えている食品として「くず餅」が注目されているわけです。
ただ、小麦粉から作る「くず餅」は関東ではポピュラーですが、全国での知名度はそれほど高いわけではありませんでした。昨年のJR東日本の「おみやげグランプリ」で総合グランプリを受賞したことで一気に知名度が上がりました。

もともと老舗和菓子屋ということからグルメ番組などのマスコミから取り上げられていましたが、2013年に日経新聞が「愛される会社」として船橋屋さんを含めた3社を紹介したところ、会社経営が注目されるようになりました。
くず餅が機械ではなく手作りで450日もかけて自然熟成させ、消費期限は出来上がってわずか2日であるという非常に製造が困難な商品を200年以上も扱っているということ、さらに亀戸という都心から離れたところの老舗和菓子屋に就活生が大量に押し寄せるということも注目されました。新卒者のエントリー数が最大で17,000人まで集まり、現在でも絞り込んで3,000人にとどめていますが、その限定を解除すると1万人は超えてしまうということです。
これが経営や人財育成などの関係者から取材が相次ぎ、あらゆるところで船橋屋さんが紹介されることとなり、昨年には「カンブリア宮殿(テレビ東京)」に取り上げられ、渡辺講師が出演することになりました。
このテレビ出演の反響は大きく、PHPから声をかけられ渡辺講師は本を出版することになりました。タイトルは「Being Management」で、今回の講演はこの本に基づいて話を進めてもらえるということでした。

経営者に求められる「情動的な知性」

まず最初に見せていただいたのがダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で出された資料で、「世界的にも求められている”心”の成長」つまり経営者に求められるスキルのランキングで、2015年と2020年で比較したものです。

同じスキルが順位を変えて並ぶ中で、2020年に求められるスキルとして第6位に「エモーショナルインテリジェンス(Emotional Intelligence)」というものがランクインしました。
直訳すると「情動的な知性」ですが、「人の機微がわかる」「自分と向き合える」といったもの、つまりこれからの経営者には数字や言語、技術といった「頭の賢さ」だけでなく自分や周囲の感情や情動がわかる「心の豊かさ」が求められているということです。
それが世界経済フォーラムで明言され、今後はより上位になると言われていることから、マネジメントもこれまでのものとはまるで違うものが確実に求められるということでした。

次にEQ(Emotional Intelligence Quotient:感情の知能指数、心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指す)の推進を図っているシックスセカンズという会社が発表したEQスコア(https://6seconds.co.jp/eq-articles/soh-japan-2018)について教えてもらいました。
この表から読み取れるのは国別の「他人への思いやりと幸福度」ということで、日本は数ある国の中で最下位でした。日本人は「おもてなしの心」を持って思いやりのある国民性だと思われているが実際はそうではない。特に職場や仕事上においてそれが欠如している。近年増えているニート(働けるのに働かない、働こうとしない若者)の問題が突きつけているのは、会社で働くことに意味を見いだせない若者が増えているということだと渡辺講師は言います。EQスコアが示しているのは、ニートの問題を本人の資質だと考えるか、日本社会の問題、会社の問題、マネジメントの問題なのか、を真剣に考えなければいけない時代が来ているということでした。

リーダーの感情が向く先

そこで重要になってくるのがリーダー、経営者としての姿勢だと渡辺講師は言います。
そのリーダーの感情がどちらの方向に向いているのかが大事だということです。その相反する2つの方向とは、一方が自己中心、自分中心で相手と比較するもの(SELF ORIENTATION)、もう一方は自分と周囲を一体として考える、受け入れ、共感するもの(GROWTH ORIENTATION)です。相手より優れているところを見つけようとするのか、お互いに尊重し合うのか、あるいは相手の成功を妬むのか一緒になって喜ぶのか、といった違いです。例えば経営者が比較する方向に感情が向くタイプであれば、現在の若者は寄り付かないし離れていくと渡辺講師は断言しました。
この方向性に幸福度を加えたマトリックスを使って4つのタイプがあることを教えてもらいました。
①「私はすごい」自尊心、傲慢、欠乏感、一人ワクワク→自己肯定
②「私が嫌い」不安、怒り、ジェラシー、他より劣る→自己否定
③「ゴールが見えた」受け入れる、許す、弱さをさらけ出す→自己認識
④「これでいいのだ」感謝、思いやり、幸福感、皆でワクワク→自己受容
①と②のタイプ、つまり比較をする「SELF」に寄っている人は外部承認が必要な人であり「Doing(やっている)、Having(持っている)」の人。
例えばSNSで「私は今こんなことしています」「私はこんなことを知っています」といったことをどんどん投稿する人はこの「SELF」の中で苦悩している状態であり、これは常に比較して外部から承認をもらわないと自分を保てない状態の人だということでした。
③と④のタイプ、つまり共感する「GROWTH」に寄っている人は自己承認ができる人であり「Being(自分の存在を出せる)」の人だということでした。

先述のダボス会議で出されたこれからの経営者に求められるスキル「エモーショナルインテリジェンス」を身につけるには、経営者が自分のマインドを④の位置に置けるようにすることであり、それに基づいたこれからの経営として渡辺講師は「Being Management」と名付けました。
それは、個々人が充足感を持ち(自己受容)、在り方を大切にするマネジメントであり、「もっともっと」という欠乏感にフォーカスした目線から解放され、日々の仕事に幸せを感じ、それを積み重ねていくマネジメント、と定義されました。

エリートに立ちはだかった壁

現在の姿を見て「船橋屋さんには前から素晴らしい組織と人材がいたのでしょう」と言われるそうですが、渡辺講師が大手銀行を辞めて船橋屋さんに入社した1993年当時というのは、現在の姿から程遠いものだったということです。
職場はいわゆる「職人の世界」で、高圧的で下の者は口答えが許されず、ルールやシステムは無いに等しい状況。当時の社員さんや職場の様子をいくつかあげてもらいましたが、社内外問わず当時の社員さんの素行不良が日常茶飯事で起き、問題だらけの会社であり職場でした。

大手銀行から来た渡辺講師が最初に手をつけたのが、統制化した組織にするための「ルール化」と「道徳観」を社内と関係者に徹底することでした。「脱職人」を目指して見える化やシステム化を推し進めて、生産性や品質の向上に努めました。

社内では当然のように反発が起こり、何人もの人が会社を去って行きました。大手銀行でキャリアを積んできた自負から渡辺講師も一歩も引かず、抵抗勢力に真っ向から挑みました。
8年ほどこのトップダウンによる統制化を図り、先代からいる社員さんが大量に辞めてでもルール化と道徳観を徹底して組織化を図ったことで、会社は確実に変わり業績も上向いていきました。
ところが、その頃渡辺講師の目には「良くなっていっているはずなのに、社員さんが元気がない」と映りました。変化はしているが、どこか停滞している会社を元気にさせるにはどうしたら良いのか迷っていたところ、知り合いから日創研を勧められました。

最初は断っていた渡辺講師でしたが、意を決して日創研の門を叩き、SA研修で大きな衝撃を受け「これを会社に導入したい」と考えました。
しかし、やはりこれも激しい抵抗に会います。渡辺講師がいくら素晴らしい研修だと言っても誰も耳を貸そうとすらしない。困りながらも粘り強く社員さんを説得し続けていたところ、ある一人が研修に行って自分の目で確かめてくると言ってきました。実はその彼こそが抵抗勢力の第一人者でした。
結果、彼は抵抗していた人たち全員に日創研へ行くよう勧めてくれることになりました。これがターニングポイントとなり、渡辺講師自身もそこからありとあらゆる研修を受けることになりました。渡辺講師が入社してから12年後の2005年のことです。

組織改革のために部門を越えた「プロジェクト活動」をそれ以前から始めていましたが、日創研の研修受講以降に「社内活性化プロジェクト」を立ち上げました。
これはそれまでのプロジェクト(品質管理、衛生管理)とは異なり、「やりたい人間が集まって社内を盛り上げよう」というもので、この取り組みによって船橋屋さんにおいても「情動化・パッション」に軸を置いた取り組み、経営に変わっていったということです。

そして、2008年に渡辺講師が社長に就任、「イノベーションを興す組織」を目指して「ブランディングプロジェクト」や「中期経営計画プロジェクト」といった新たなプロジェクトが立ち上がり、現在の新しく注目される「船橋屋」が形作られていきました。
現在は、「船橋屋」をはじめ5つの事業会社があり、それをまとめる「船橋屋ホールディングス」の6つの会社があります。

リーダーの仕事

ブランド価値を創る

ここからは「Being Management」について教えてもらいました。
Being Management(在り方)というのは、人の心に内在する「真・善・美」のマネジメントにおける具現化であると渡辺講師は言います。
真:揺るぎないものの追求(文化性・理念・ビジョン)
善:真の在り方が社会の為になり、お客様の喜びをつくる
美:「真」「善」を「感性」で表現する力
このマネジメントにおける「真・善・美」が三位一体となって具現化されることで企業のブランド価値が高まるということでした。

ブランド価値とは
「企業が生み出し続けた幸せの量であり、お客様一人ひとりの記憶の中に生き続ける思い出や情景」
であり、リーダーの仕事はこのブランド価値を高めて、顧客を創造することであるということです。
さらに掘り下げて、ブランドの本質について教えてもらいました。
①根源的価値を見出すこと
②絶対的非代替であること
③革新的行動(イノベーション)を起こすこと
「根源的価値」とは「会社が絶対に譲れないもの」、「絶対的非代替」とは「あなたでなければダメ」ということ。③は常にイノベーションを起こしている、常に変化を起こしているということ。
ここで渡辺講師は参加者にこの本質についての「究極の2つの問い」を投げかけました。
「この組織は誰の為に、何故、存在するのか?」=根源的価値
「お客様はなぜ、今、(他者ではなく)私たちから、この商品・サービスを、得なくてはならないのか?」=絶対的非代替
その上で渡辺講師は、経営者であるならこの2つの質問に20秒で的確に答えられなければならないし、できれば全社的にこのことが伝わっているようにすべきだということでした。

次に、企業ブランドが「どこから」生まれるのかを聞きました。
ある調査によると、メディアでもその企業の調査・レポートからでもなく、よく言われる口コミでもCEOでもありませんでした。答えはその会社の社員さんで、「社員さんから企業ブランドが生まれてくる」ことが最も多いということがわかりました。
社員さんが会社のことを楽しそうに話さない、あるいはマイナスな発言をしている、といったことがあると、どれだけ良い商品・サービスを提供していようと、それを聞いた人のその企業のイメージは大きく崩れます。
社外への情報発信をする以前に、社内の経営理念やビジョンの浸透が優先で、それによって会社の魅力を心から語れる「語り部」を社内に何人作れるかが企業ブランドを生み出す決め手であるということ、つまり組織づくりから始めなければ、どんなに優れた戦略戦術も上手くいかないということです。

人財育成と環境

渡辺講師が全国で講演をする中でよく聞く人財についての悩みが2つあります。
「良い人財を採用出来ない」
「良い人材が育たない」
渡辺講師は2005年のまだ組織づくりで苦しんでいる時、あるコンサルタントに入ってもらいました。初めて会ったその時に彼から言われたことは「会社の話をする時、社員さんのことを”奴ら”とか”アイツら”と言われますが、まずそこを直さない限り御社は良くなりません」ということでした。
次にそのコンサルタントは社員さんを集めて「皆さんはどんな人に来てもらいたいですか?」と聞きました。すると、「気が利く」「前向き」「積極性がある」「笑顔・明るい」「行動力がある」「不平・不満を言わない」「協調性がある」「リーダーシップがある」などの意見がたくさん出てきました。
一通り意見を聞いたコンサルタントは改めて社員さんに尋ねました。
「では、お聞きしますが、皆さんの組織には、この様なスタッフが何人いますか?」
その場は一瞬にして静まり返り、社員さんは皆下を向いてしまいました。

このことから「人財育成とは環境(場)づくりから」だと渡辺講師は言います。
リーダーの仕事とは、同じ志の仲間を増やす(人財育成)ことで、「語り部」が生まれ、企業・組織ブランドを創る、ことであるわけですから、その為にリーダーが最優先で行うことは2つだけだと渡辺講師は言います。
第一に「目的地の絵葉書を描く(共感を起こすビジョンをつくる)」こと。
作らなければいけないと言われて作った経営理念やビジョンは絶対に上手くいかない。特にビジョンは経営者の頭の中だけで作っても決して共感されず、ついて来ることはない。これは社員さんだけでなくお客様からも「イイね」と言ってもらえるものでなければ上手く行くわけがない。
そして、このビジョン達成の為に行うことのもう一つが「場の力をつくる(最強の組織づくり)」です。
長く愛され続けている船橋屋さんのくず餅には、たくさんのお客様の人生の物語の中に存在します。ある方は、お葬式の時に代々食べてきた船橋屋さんのくず餅を供えて欲しいという遺言を残された方や、疎遠になっていたご家族のお見舞いに昔一緒に食べていた船橋屋さんのくず餅を持っていくことで絆を取り戻した、など数多くのエピソードがあります。
「共感を起こすビジョン」を考えるならば、自社が社会に何を与えているのか、企業活動の全プロセスを通し、社会にどのように振る舞い、どのように感じてもらい、そしてどのように多くの方々の物語に関わっていけるのか、を考えることだと渡辺講師は言います。だからこそ、ビジョンは社員さんだけでなく、社会と一緒に創り上げるものだということでした。

ただこれをパートさんを含めた全社的に取り組む為には、このことをキチンと理解しなければいけませんので、船橋屋さんでは中期経営計画をビジュアル化、アイコン化することで理解と浸透を図っています。
次に船橋屋さんでは社内で共有するものを明確にしています。一つが「文化性」で、船橋屋さんが持つ3つのコアコンピタンス、「老舗」「亀戸天神」「くず餅」これを総称した「江戸の粋」、江戸から続く船橋屋さんのくず餅とお客様との関わりとその歴史。
もう一つが「社会性」で、食を通しての健康や安全の提案、また人財育成を通して社会の課題への取り組み。そして最後に「経済性」、この文化性や社会性を実現するための戦略戦術です。

求められる組織の構造

次に、成果を作り出せる組織とはどういうものなのでしょうか。
これまでの「ピラミッド型組織」というのは、上から下へ指示が降りていき成果を求められます。過去のマネジメントでは下の人が成果を出す為に「頑張る」ことや「根性」「努力」を求めてきました。それをすることで成果が出て、結果的に幸せになる、としてきました。「社員さんを幸せにするため」として根性や努力を強いてきたわけです。
しかし、経済状況が変化する中で、この流れ(努力→成果→幸せ)が上手くいかない、どれだけ頑張らせても成果は出ず、それどころか健康問題が起こるようになった。
このことから、会社が求める成果の後に幸せがあるのではなく、働く中で幸せを感じることで能動的に努力をし、結果的に成果を得られる、ということがわかってきました。
そして、人が幸せを感じるには3つの要素が必要であることが心理学(アドラー心理学)によってわかってきました。
①自分が好きになる(自己受容)
②人を信頼できるようになる(他者信頼)
③自分が役立っている事を感じられる(他者貢献)
この3つが揃って初めて人は幸せを感じるという事です。
①は、例え成功している人でも自分のことが嫌いな人は幸せを感じることはできません。②は、自分のことが好きになっても他の人が信じられなければ幸せを感じることはできません。そして③は、自分のことを好きで、周りの人のことも信頼していたとしても、自分が人の役に立っているという事が感じられなければ「満たされない」ということです。
この3つが揃わなければ人は幸せを感じることはできない、つまり働く中でこの3つが揃わなければ成果は出ないということなのです。そして、この考え方から構築された組織を「オーケストラ型組織・インクルージョン組織」と言います。

では、船橋屋さんではどのようにして全社的にそれぞれの幸せを醸成し(3つの要素の満足)、この「オーケストラ型組織・インクルージョン組織」を作り上げようとしているのでしょうか。
船橋屋さんではそれを可能にするための「人財開発プロセス図」があると渡辺講師は教えてくれました。
まず、先述の「目的地の絵葉書」を「1 on 1ミーティング」と「多岐に亘る社内研修」で社員さんにしっかり落とし込んでいきます。「1 on 1ミーティング」とは経営者と1対1で行うミーティングで、経営者側が私情を挟まずにとにかく部下の話を聴くというもの。このミーティングの重要なポイントは、そういった時間を常に取っているかどうかということです。
これに加えて「多岐に亘る社内研修」を受けてもらうことで、会社の理念やビジョンをしっかり理解させ、浸透させていきます。
ミーティングや研修を通して具体的には4つのことを行っていきます。
①目的の共有(経営理念・ビジョンと個人的価値観の統合)
②信頼の向上(会社に対する信頼、商品に対する信頼、自分に対する信頼)
③共感力の形成(共通認識、共通理解、共通体験、共通言語)
④皆が主役(プロジェクト活動による横のつながり強化)
この4つの取り組みによって、「目的地の絵葉書」を社内皆んなで考え具現化していく。さらに、経営者自身もセルフカウンセリングを実行して常に「幸せな組織を作りたいのか」ということを自身に問いかけ、全社的に実践し体験することで先述のアドラー心理学が提唱する「幸せを実感す」組織を作り上げようとしているということです。

また、船橋屋さんでは良い人財を育てるための環境づくりとして6項目を確認しています。
①理念・ビジョンに社員が共感しているか(その理念・ビジョンの元に働けば幸せになれると思っているか)
②給与・賞与の明確かつ公平な評価基準はあるか
③社内サーベイはあるか(社内活性化アンケート:経営陣が社員の声を聞いているか)
④中期経営計画が新入社員やパートさんまで浸透しているか(計画作成に社員を関わらせているか)
⑤新卒採用チームがあり、機能しているか
⑥イベント等、仕事を離れワクワクする場があるか

第一部のまとめ

船橋屋さんでは、人財育成においてこれらの位置付けを明確にしています。
土台となるのは「社訓・理念・ビジョン」経営の目的を明確にしっかりと理解していること。その上に位置付けられているのが公平な評価のための「給与基準」、さらにその上に位置するのが実行に対するフィードバックとなる「サーベイ(社内匿名アンケート)」、この上にようやく計画(中期・年次)が立てられ実行に移されることとなっています。

他では見られない人財育成の形ですが、これは冒頭に出された企業を成長発展させるリーダーを育成するためであり、そのリーダーの仕事である「ブランド価値の創造」のためであるからです。
「企業ブランドは社員さんから生まれてくる」ので、リーダーは「語り部」となる人財を育成しなければならないということでした。つまりブランド価値創造のためには、
①共感を起こすビジョンを描き
②そのビジョンを刺激的でワクワクする形で社内に示し(目的地の絵葉書)
③ビジョン実現のためにメンバーが自分の幸せ(自己受容・他者信頼・他者貢献)を実感できる強い組織を構築すること(オーケストラ型組織・インクルージョン組織)

これはアドラー心理学にある「共同体感覚」であり、「人が人を支配しない横の関係」を企業内に築くことでブランド価値を創造しようということです。このことから人財育成の中枢に公平な評価と公正な管理(フィードバック)が置かれているということでした。

この船橋屋さんの取り組みを如実に表したものが「リーダーズ総選挙」です。
これは部長職の上、社長直結の執行役員を社内選挙で決めようという公平公正な取り組みです。その第1回総選挙で決まった(有効票150票のうち70票獲得)のが今回一緒にお話をしてくれた佐藤恭子さんでした。
この結果を受けて当時の部長といったリーダーは反発をし、辞表を持ってきた人もいましたが、渡辺講師のコーチングによって全員が残り、今では素晴らしいリーダーになっているということです。

第二部 人財活性 具体的施策

誰よりも会社のことが好き

佐藤恭子さんから船橋屋さんで実際に行われている人財育成の事例を紹介してもらいました。
まず冒頭に、佐藤さんが社内選挙で執行役員に選ばれたことについて話してくれました。その答えは「私は能力が高いわけではありません。ただ、会社の誰よりも、社長よりも会長よりも船橋屋のことが好きだということ」でした。
渡辺講師が社内改革を推進し、反対勢力と激しくやりあっていた頃、8〜9割の社員さんが辞めていった時期がありました。ただ、それでも辞めずに会社に残る事を選んだ社員さんもいました。
佐藤さんはその人たちがなぜ会社に残るという選択をしたのか興味があり、直接話を聞きました。その答えは「会社が好きで、社長が好きだから」というものでした。
それを聞いた佐藤さんは、能力よりも会社への愛着や「好き」という気持ちが大事であることを知り、能力は低くても「会社が好き」という気持ちを突き抜けさせて、自分がどれだけ会社を好きであるかを人に語れるようになろうと決意しました。
会社への愛着の大切さを教えてくれた部長の小野寺さんからもお話を聞かせてもらいました。

小野寺さんは渡辺講師が入社する前から船橋屋さんで働いていた方で、当時は素行不良社員の一人でした。それでも船橋屋さんに残り、渡辺講師と共に現在まで船橋屋さんを支えてこれたその愛着には理由がありました。
渡辺講師が入社する前の職場は確かに「理不尽な職人の世界」で粗暴で上の立場の人の言う事が絶対で、小野寺さん自身も後輩に対して同じような態度でした。でも、その仕事の仕方が「ちっとも楽しくなかった」と言います。
そんな中で入社してきた渡辺講師(当時専務)が「話を聴いてくれた」こと、さらに「仕事やってて楽しいことあるのか」と訊かれ、小野寺さんの心にあった「人は変えられる」という思いに変化が起こりました。その後研修を受けていく中で「自分が人を変えるのではなく、自分が変わっていく中で周りの景色が変わって見える」ことに気づき、楽しくなっていきました。
最近では、そんな小野寺さんの背中を見てか、娘さんが自分から船橋屋さんにアルバイトに行きたいといって、働きにきているということでした。

自律した仕事の取り組み方

佐藤さんから具体的な施策の説明としてまず「プロジェクトマネジメント」について教えてもらいました。佐藤さん曰く「これが現在の船橋屋の姿に変えた取り組み」だということです。
プロジェクトの発足は社長である渡辺講師から出される場合もあれば、社員の中から提起される場合もあるということで、基本はとにかく「社内の立場に関係なく、やりたい人がやる」ということです。プロジェクトが立ち上がると各部署から「やりたい」人が集まり、プロジェクトリーダーが決まりますが、これも職場の立場に関係なく、新入社員でもなれるということでした。
佐藤さんもいろいろなプロジェクトに参加してきたと言うことで、組織活性化プロジェクトでは3年間リーダーをしました。部署や立場に関係なく「会社のため」に行うこの取り組み方は、普段の仕事では得られない学びもあり、そこで働く人が会社を「自分たちのもの」愛着心を高める取り組みだということでした。

また、船橋屋さんの人事考課においてもこの「行動にフォーカス」したものとなっています。基本は決められたことが正確にできるか、ということですが、等級を上げる(給料を上げる)ためにはそれが自分だけでなく周りもできるようにならないといけません。部下ができたら部下が仕事ができるようにする、さらに部署全体ができるようにする、上に行くほどマネジメント力が求められる仕組みになっています。
さらに、職人さんについては技術力を評価できるように「職人マイスター制度」というのを取り入れています。これは技術の難度に応じて評価点を加算していくというものですが、この制度の利点は「先の目標が明確になる」ということでした。それまではどうすれば「一人前」になれるのかがわかりにくかったのですが、職人さんの仕事を個々の技術に分解し、その難易度を明確にしたことで「一人前への道筋」がわかりやすくなり、指導する側もされる側も共通認識の基に仕事に取り組めるようになりました。

新卒社員の取り組みにも同様の「チームビルディング」を目的とした施策が盛り込まれています。船橋屋さんでは内定の段階から働くことの意味や意義、これまでの環境の違いを体感してもらい、入社以降スムーズかつ船橋屋さんの一員であるという意識を持って仕事に取り組めるようにしています。
特に渡辺講師が重視しているビジョンについては、すべての人がそこに目を向けられるように発表会を開催しています。同時にそれを実現させるための店舗や部門ごとによる取り組み発表会も行われ、個人やチームの感性がぶつかり合うことによる相乗効果も生み出しています。
社内外の研修を充実させ、同時に社内でプロジェクトチームによる独自の自発的な取り組み、社内報はその代表的なもので、その時のリーダーやチームの思いや考えによって年々ブラッシュアップされていっています。
時には社内アンケートから問題提起されたことの解消のための取り組みも生まれてきます。ある時期に行ったアンケートで「コミュニケーション不足」という問題が上がったため、いろいろなイベントを企画して社内の交流を活発化させることにより問題を解消しました。

老舗の歴史はイノベーションの繰り返し

これら独自の人財育成の取り組みが評判となってマスコミや各種講演に渡辺講師が引っ張りだこになり、ついに有名なテレビ番組にも出演したことから新卒生の就職先として人気が爆発しました。エントリー数は2014年には5,000人を超えていましたが、翌年には16,700人まで膨れ上がりました。
現在では、あまりの多さに対処しきれないこともあり、本気で船橋屋さんに入社したいという人だけを選べるように、例えば全店を回ってレポートを提出してくれるなど、エントリーの時点から「働くこと」に向けた積極的な姿勢が求められるようになっているということでした。

佐藤さんは最近の言葉で言うところの「歴女」で、船橋屋さんの歴史が好きで入社し、個人的に歴史を研究しています。
その中で歴史ある会社を訪れ、話を聴いているということで、ある時1300年以上の歴史ある旅館で当主から言われたのは「歴史は長さに意味はなく、時代や環境に応じて変化をしてきたかが重要」だということでした。
佐藤さんが船橋屋さんの歴史を紐解いてみると、確かに時代ごとに何かしらのイノベーションが起こされており、単に伝統を引き継いできたわけではないことがわかるということでした。
このことから、現在の船橋屋さんにおいてもイノベーションが必要だということで、考え注目したのがくず餅が製造される過程にある「発酵」でした。
渡辺講師から説明があったように、くず餅は450日間発酵させ、出来て2日しか持たないという食品です。そこで、その450日間発酵させている樽の中を調べてみたところ新しい乳酸菌が見つかりました。この植物乳酸菌を研究解析し「くず餅乳酸菌」として商標登録し、様々な形で商品化することにしました。
ここで注目すべきは、この「くず餅乳酸菌」が発見されるきっかけとなったのが、お客様アンケートからだったということです。くず餅を食べての感想をアンケートという形で集めていた中で「くず餅を食べると体の調子が良くなる」といった声があり、そこに考えるヒントを得たと言うことでした。

まとめ

共感を起こすビジョンを持つ

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし」
渡辺講師は最後に吉田松陰の言葉を引用して夢を起点にした経営の重要性を話してくれました。
なぜ夢を起点にするのか、その理由は欠乏感から目標を打ち立ててもそれは不安からくる「しなければならない」というものになる。この主役は自分ではなく、見えない「不安」が主役になっていて、見えない何かから「しなければならない」と指示されて働いていることになります。これが問題なのは楽しくないだけでなく、上手くいかなかった時に部下や環境のせいにしてしまうところです。
吉田松陰の言葉通り夢を描くと理想(の姿)を持つようになります。この理想が経営における「高い志」であり、そこから皆んながワクワクするビジョン「共感を起こすビジョン」を描き出せるようになるのです。これを船橋屋さんでは「目的地の絵葉書」と呼んでいます。
このビジョンを実現させる要素が5つ、「目的(経営理念)」「価値観(目的達成の原動力・行動指針)」「戦略(シナリオ)」の3つは常に全社に伝え深く理解してもらうもの。「目標(中期・年次・月次計画)」「戦術(手段)」の2つはビジョン達成のための徹底した実行を求めます。
これらを実際に動かすために人財育成をして「オーケストラ型組織・インクルージョン組織」を作ります。
この皆んながワクワクする「共感を起こすビジョン」を中心とした経営が「Being Management」であり、この先にこそ成果があるということでした。

永続企業は高速で回るコマのようだと言われますが、それを渡辺講師は以下のように説明してくれました。
高速で回るコマは自立して静止しているように見えますが、それには2つの物理的要素が働いているからです。一つはぶれない軸であり、これが企業では理念やビジョン、文化性や社会性に当たります。もう一つは遠心力ですが、これは企業の「組織力」に当たります。この組織力を強化することでコマは回り続けることができるわけです。
その組織力を強化するというのが以下の2点になります。
①インクルージョン組織の醸成
②フィロソフィー教育
①はこれまでの通り「個人の能力を企業価値として生かす」ことであり、チームワークによって大きな価値を生み出すことです。それにはコーチングがとても重要な役割を果たします。
②は、組織力を強化するには、働く全ての人に「仕事観の意識改革」が必要だということです。考えるのは社長の仕事だと言いますが、そこで働く人すべてが仕事の本質を探究する「考える組織」になることこそ組織力の強化に他ならないわけです。これこそが企業を永続させる最も重要なことだと渡辺講師は教えてくれました。

経営者にとって重要なのは吉田松陰が言う「夢を持つこと」であり、それは常に主役を不安感にではなく自分に置く「今 ここ 自分」であると渡辺講師は言います。
渡辺講師が好きな映画「スターウォーズ」でも、主人公のルーク・スカイウォーカーの師匠であるヨーダが発した言葉にありました。
「地平線ばかり見るな、求めるものは目の前にある」
先の見えないものに心を奪われるとダークサイド(暗黒面)に陥る。目の前とは「今 ここ 自分」であり、ヨーダはルークに「(不安感を)包み込むものこそフォースだ」と言いますが、このフォースというのが理念経営であり今求められている「心の経営」だと渡辺講師は言います。

最後に渡辺講師が大好きなオノヨーコの言葉を贈ってくれました。
「ひとりで見る夢は夢でしかない、しかし誰かと見る夢は現実だ」

渡辺雅司社長、佐藤恭子執行役員、貴重なお話をありがとうございました。
ご参加頂いた皆様にも改めて感謝申し上げます。


[講師プロフィール]

渡辺 雅司●1964年、東京都生まれ。立教大学経済学部卒業後、1986年に旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社。企業融資や債券トレーダーなどの業務を経て退職し、1993年に船橋屋に入社。2008年、8代目として代表取締役に就任。座右の銘は、6代目の祖父がよく口にしていた「われ以外皆わが師」
著書 「Being Management〜リーダーをやめると、うまくいく。」(PHP研究所)