理想の日本を実現するための理念の探究と推進する人材の育成
松下幸之助翁は生涯において3つの事業をしています。
1つが23歳で松下電気器具製作所(現パナソニック)、1946年51歳でPHP研究所、そして79年84歳で松下政経塾(開塾は85歳)。
これらに共通するビジョンが「物心一如の人類の繁栄、平和、幸福の追求」です。
物がいっぱい、ご飯もいっぱい食べられる、それでも心が貧しければ追求できない。
逆にお腹が空いていては心だけ富んでいてもそれは無理であり、両方揃ってこそ繁栄、平和、幸福を追求できるという考えです。
中国の故事「衣食足りて礼節を知る」と同じで、やはり物が揃って、その上で心が富んでいなければならない。
これを英語でPeace and Happiness through Prosperity と言い、この頭文字を使ってPHP研究所ができています。
戦後の大変な時代に立ち上げたのがPHP研究所で、ここで理念作りをされました。
それだけではなくやはり国家の経営、国の指導者をちゃんと作っていかないと日本という国が危うくなるということで、この松下政経塾を作られました。
松下政経塾は松下幸之助翁が70億の私財を投じてこの敷地、建物、そして塾を設立されました。
創立が1979年の6月21日。建物ほぼ創立時そのままのものを使っています。
施設が2万平米、建物が6700平米、建物が3割ということで、広い敷地でゆったりとした作りの施設になっています。
建物のイメージはギリシャだということで、当時松下幸之助翁が「ここにヨーロッパを作れ」と言ってこの建物を作られたいうことです。
なぜギリシャなのか、その昔ギリシャは世界で初めての民主主義国家だったと言われているからだということです。
正式名称を公益財団法人松下幸之助記念財団松下政経塾といい、人材育成を使命として取り組みを進めています。
1980年4月1日に第1期生23名を迎え入れて1がスタートしています。
卒業生は302名、そのうち36人が衆参の国会議員を務めています。
この塾の目的は、「21世紀理想の日本を実現するための諸理念・方策の探求と、それを推進していく人材の育成」。
「設立趣意書」には、「幸いにして、天然資源には恵まれぬわが国ながら、人材資源はまことに質の高い豊かなものがある。まさに、人材、とりわけ将来の指導者たりうる逸材の開発と育成こそ、多くの難題を有するわが国にとって、緊急にしてかつ重要な課題であるといえよう」とあります。
塾是には「真に国家と国民を愛し、新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し、人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」と書いてあります。
この「新しい人間観」ということについては、松下幸之助翁は著書『人間を考える』の中でこう書いています。
「人間は地球上の万物の王者である、その生まれ持った才能で地球上のあらゆるものを使うことができる。だからこそ人間は地球の繁栄や平和、幸福を追求しないといけない。人間は平和を求めてるのに戦争を起こしてしまう、あるいはご飯もいっぱい食べたいのに貧困を起こしてしまう。これは本来人間が地球に生まれてきた使命と異なる動きをしているからではないか」
と言い、だからこそ何故人間が生まれてきたのかその理由をしっかり考え、それに向きあって生きていかなくてはいけないし、行動しなくてはいけないということを書いています。
それが新しい人間観だということです。
次にそれを実現できる人材像について塾訓に示されています。
「素直な心で衆知を集め、自修自得で事の本質を極め、日に新たな生々発展の道を求めよう」
松下幸之助翁がよく塾生に言った言葉には3つのキーワードがあり、「素直な心」「衆知を集め」「自修自得」です。
「素直な心」というのは、会社の上司から言われたから何でもはいはいということではなく、「あるがままに観る」ということで純粋無垢な気持ちで観ることを指します。
偏った見方をせずに、そのまま全てを受け入れることを「素直な心」だと言い、その方が対応しやすく、自分も強くするということです。
「衆知を集め」というのは、1人だけの知識、知恵だけではなく、周りの人の知識、知恵を集めること。
松下幸之助翁は学歴がなかったため、社長になってもわからないことは知識を持っている社員さんから一生懸命集めていた。
その結果成功に繋がったということで、衆知を集めることの大切さを語っています。
また、塾には教科書がありませんが、自分でやるべきことを自分で定めて、実際に自分が行動して経験しそれで得てくる、これを自修自得と言っています。
アクティブラーニングということが最近よく言われていますが、それこそがまさに自修自得です。
五誓とはその現場での行動指針です。
「素志貫徹の事」「自主自立の事」「万事研修の事」「先駆開拓の事」「感謝協力の事」
心身ともに鍛え志を育む
元々松下幸之助翁が松下政経塾をやろうと考えたのは開塾の10年前。
その当時高度経済成長が止まり、オイルショックが起こって景気が滞留、公害等が増えた時代。
松下幸之助翁は「このままではいかん」と思い政経塾の構想を周囲に相談したところ、実業家が政治に口出すのはいかがなものかと反対され断念した。
それからしばらく様子を見ていたのですが、世間は一向に良くならない。
それでもう一度相談をすると、周りから賛成され設立を決意されました。
ただ、その時松下幸之助翁は80歳を過ぎており、「あと40年若ければ自分が先頭に立つが、もうそれもいけない」として、若い人たちにこの意志を継いで頑張って欲しいという思いがありました。
この塾の志に叶うものが一人でもいれば、絶対開塾するという思いを込めてこの塾を立ち上げたと述べています。
実は第1期生の予定は30人でしたが、塾の志、理想に合致したのは23名であったため、松下幸之助翁にどちらを取るかを尋ねたところ、人数ではなく志だとしてその23名でスタートしました。
松下政経塾の研修方針は「自修自得」自分で掴む研修です。
1時間目はここ、2時間目英語、のようなカリキュラムはなく、常勤の講師もいません。
「現地現場」実際自分がその場に行って、行動して、体験してくる。
「徳知体三位一体」というのは、人として指導者として人間を磨き向上しようとする心を持ち、正しい本物の知識を得て、実行するための体力、健康な体を作る、その3つを主とした研修であるということ。
基礎過程では、実際パナソニックの販売店さんに行き、掃除の勉強からお客様への話の仕方などから教えてもらいます。
3年目から4年目には実際の現場に行き、地域活性化の課題や食料自給率の問題、農業者の高齢化など現場の体験を通してその課題解決に向けた発信や活動、フォーラムを開催したり、講演者として呼ばれて講演したりといった活動をします。
入塾には22歳から35歳という年齢制限があります。
塾は全寮制で、この施設に住み込んで活動します。
驚くことに入塾するのに費用を払うのではなく、「研修資金」として塾から与えられて活動をするということです。
1年目は大体270万、2年目以降は270から500万円が提供され塾の活動に専念するという形です。
そのために、「審査会」というのが2年目の終わりから行われ、この半年間何をしてきたのか、今後半年間何やっていくのか、最終的にどうなるのかを塾のOBや外部の有識者の前でプレゼンすることになっています。
そこで、こうやった方がいいなどの指摘を受け点数がつけられます。
ここで最低点を2回連続取ると、塾から出ていくことになっています。