方向指示器とお茶汲み
昨年の3月いっぱいまで塾頭をされ、現在は顧問として塾の新人研修を担当し松下幸之助翁が感じられる講義をされている金子一也講師からお話しいただきました。
今回は金子講師が編集長として書かれた『リーダーになる人に知っておいて欲しいこと』(PHP研究所)を中心に、ここに書けなかったことまでを話してもらいました。
塾生から「経営で大事なことは何か」を問われた時、松下幸之助翁は「簡単や、経営って二つや」と答えられました。
PHPから出ている書籍では商売についての30箇条が書いてありますが、塾生には二つで良いと答えられました。
60代、70代では、経営とは30箇条だと述べていましたが、この頃の松下幸之助翁は84歳から90歳、もう晩年の頃になります。
その二つとは、経営理念を持つこと同時にそれを実践できる自分作り、あるいは人作り、この二つで良いということでした。
そして、日本の国に経営理念が無いからこの塾を作ったとも松下幸之助翁は答えられました。
これは本来政府や政党の仕事だけれども、この国を見ていると船がどっちに向かっていくかわからない、まるでタイタニック号と同じように衝突する、衝突する危険が見えているのに方向指示が無い。
その方向指示こそ経営理念であり、その「国の経営理念」をどこも作っていないから自分が少ないお金で作ろうと思ったとおっしゃった。
では、経営理念ができれば良いのかと塾生が尋ねると、リーダーであれば経営理念の確立、その後は経営理念がちゃんと実行できているかどうか心配する、経営とは心配してお茶汲みをする「心配業」だと答えられた。
方向指示器が経営理念なので、方向指示器つき心配業が社長の役割だと答えられました。
この時にはご自分が組織を立ち上げてからすでに60年以上経過した頃の話ですから、社長とは詰まるところ方向指示器付きお茶汲み機械だとされました。
方向指示である経理念を作り、お茶汲み=それをきちんと理解してくれる従業員あるいは人を作る。
松下幸之助翁は、人間とは絶対に成長し、世界は成功するようにできているとずっと念じておられた。
松下幸之助翁はどこに出社されても一番最初にされることは「根源の社」の前で参拝することでした。
何をされているのかを尋ねると、今日も素直で感謝の一日を送りたい、素直と感謝という2つを念じておられた。
素直とは、目に見えない宇宙根源の法則を「素直に受け取りたい」ということ。
毎朝その思いのスイッチを押してから仕事しているということでした。
経営理念とは未来を開く長期的な展望を作ることであり、それがリーダーの一番の仕事だということでした。
建設趣意書
松下政経塾の経営理念は設立趣意書、塾是(社是)、塾訓(社訓)、五誓(現場方針)に表されていますが、松下幸之助翁はこの4点セットを作ることが自分の仕事であり、いつもそれができて初めて動かれたということです。
また、松下幸之助翁は松下政経塾のこの理念を作るのに53回も推敲され、いつもよりその回数が多かったということですが、それは恐らく人生の中で一番最後に作る組織であろうと意識されていたからではないかということでした。
金子講師はここで、松下幸之助翁が作った経営理念について面白いエピソードを紹介してくれました。
一番最初の頃に作った経営理念として松下幸之助翁のご自宅から、そのご自宅を建てた時の「建設趣意書」が見つかったというのです。
自宅を建てようとする時、建設費用や駅までの距離、銀行のローンなど条件から考えるのが一般的です。
松下幸之助翁は条件より前に、何のために建てるのか、何のために何をどうするのかを常に明快にしたいという思いが強かった。
ご自宅で見つかった「建設趣意書」は、何をするにしてもまず理念を作っていた証拠だと金子講師は言います。
何のために何をどうするのかを決めて文字化し、それを共有して浸透させる、それが経営理念であり、その物事に関わる人がすべて同じ思いで仕事をしてもらいたいということです。
見つかった「建設趣意書」を金子講師が要約して教えてくれました。
「自宅の建設というのは、その人の一生で大きな仕事である。自宅というのは人格を磨く大事なところである。だから、今回の建設は、たくさんの人に関与してもらって華美になりすぎてはいけないし、質素すぎるのも良くない。だから、集まってくれる職人さんの最大限の力を発揮してほしい。だけど、費用は超えてはならない」
施主からの願いは、この「建設趣意書」を毎朝決まった時間にみんなで唱和してから仕事をして欲しい、というただ一点だけだったということです。
当時の職人さんは気まぐれで、来たい時に来て帰るという定時がない仕事でしたが、定時がない仕事ではダメで、朝一番にこの「建設趣意書」を皆んなが心を一つにして読み、何のために何をしているのかということを自覚してから仕事に取り組んで欲しいという願いでした。
無いのは経営理念
松下幸之助翁のこの経営理念に対する考え、姿勢というのは会社の経営理念を作った昭和7年、8年ごろの取り組みを見ればよくわかると金子講師は言います。
松下幸之助翁が経営理念を打ち立てた次の年に行ったことは「事業部制」で、それと同時に「朝会」を始められた。
朝会で経営理念を読み発表もして全員心をひとつにする、これを毎朝やりました。
経営理念を作った次の年からそれを浸透させるために事業を細かく分けることをされたというのは、つまり経営理念を作ったらそれを浸透させるのが社長の仕事だということを表しています。
「社長業とは何か」を問われた時に「経営理念作ること、そして浸透させること」というのは、この当時の松下幸之助翁の取り組みを見れば非常によくわかるということでした。
松下幸之助翁が塾生に言っていたのは、松下電器にも最初は経営理念がなかったということです。
苦労はしたが順調に業績は上がった、けれどもある程度まで行くと社員の不満が増えていくことに悩み出した。
悩んでいたある時、松下幸之助翁は天理教のお祭りに誘われました。
そこではみんなすごい熱気で生き生きと、文句ひとつ言わずにやっていた。
不思議に思った松下幸之助翁は祭りの中で働いている人に聞いてみました。
「皆さん一生懸命お祭りされてますけども、給料高いんでしょ」
「いや、宗教だから給料もらってません、ボランティアです」
「全国から集まりますけど交通費はもらってるんですか」
「いや、手弁当です」
「じゃあ福利厚生、法被とか食べ物とか支給されてるんですか」
「いえ、これも全部自分たちで手弁当で出してますと」
これを聞いて、松下幸之助翁は悩みがますます深まった。
私の松下電器は福利厚生も給与も全部与えているのに、もっとくれと文句しか言われない。
なぜ、祭りの人たちは何も貰っていないのにこんなに喜んで働いてくれるのか。
悩みが深まったことで、経営はお金儲けだけではなく「自分たちの仕事は世界の幸せを作っている」ということを従業員に言っていなかった、ということに気がついた。
松下電器には給与、交通費、福利厚生があっても経営理念がなく、宗教には全部ないけれども経営理念がある。
宗教は悩んでるから入信すれば楽になるのであり、会社も経営理念を作れば宗教を超えていくような偉大な聖なる事業ができるということにに気がついた。
だから社長はお金の話、利益の話だけではなく、我が社は世界から貧困をなくすという聖なる事業をみんなと一緒にしている、お金儲けだけじゃないということを伝えないといけない。
経営理念を作り、目先のことではなく遠い未来のこと、自分のためだけではなく未来のみんなのためのことを言おう、世のため人のために我が社はあるんだということを宣言しようとしたのが「宣言文」であり、昭和7年5月5日に全社員を集めて話をされました。
そして松下幸之助翁は、これまでの14年間の経営は仮の経営だったとして、経営理念を発表した今日が本当の創業記念日として、松下電器の創業記念日を変えてしまわれました。
昭和7年は世界的な金融恐慌で世の中すべて不況、倒産が相次ぎ、そして戦争へ向かおうとしていた時代、つまり日本中が右肩下がりの大不況の中、松下電器だけ右肩上がりになれたのは経営理念のおかげと松下幸之助翁は著書の中で述べられています。
その経営理念のおかげで大きくなったという成功体験があるのに、日本という国には経営理念がないという松下幸之助翁の問題意識、この発露が松下政経塾だということです。