大ヒット商品の生みの親

今回は「なめらかプリン」の生みの親である株式会社菓子道の代表 所浩史さんです。
所講師は岐阜県岐阜市で生まれ、高校生までは地元の学校に通い、幼い頃から剣道をやっていました。
名古屋の大学を卒業後は、実家がケーキ屋さんを営んでいたことから、その後を継ぐべく父親の紹介で東京は南青山の「ヨックモック」という会社に入りました。そこからお菓子屋さんやパン屋さんを経験、ヨーロッパにも修行に出ました。
ところが、27歳の時に実家のケーキ屋が倒産してしまい、帰る場所を失ってしまいました。

その時所講師は「自分は本当にケーキ屋になりたかったのか」という自問を繰り返しました。そこで、一旦ケーキの道から離れることにし、帰る家もなくなったことから北軽井沢のペンションに住み込みで働きに行くことにしました。
そこでスタッフとしてベッドメイクや調理をしていましたが、2年目にケーキを作るように言われました。そこから急転直下、ケーキの世界に戻ることになり、たまたま入社したのがイタリアンレストランとして展開していた東京恵比寿の「パステル」でした。
そこで所講師が1993年に開発したのが「なめらかプリン」で、テレビ番組で取り上げられた事がきっかけとなり、年間製造数が最大で2700万個、単体商品の売上は80億円に達する大ヒットでした。

この商品の開発のきっかけは、当時大流行していたイタリアの「ティラミス」や注目されていたフランスの「クリームブリュレ」でした。どちらもバブル時代の「スイーツ」ブームから出てきた商品ですが、当時は海外のお菓子が日本に持ち込まれ、情報雑誌を通じて多くの人がそれを求めるという時代でした。
所講師はそんな人気の海外からのスイーツに目をつけ、特に「クリームブリュレ」のなめらかな食感は日本人が好きだろうと考え、日本人の口に合わせた甘さを控えたクリームブリュレとプリンの中間のような商品を作ろうと考えたのです。

剣道との出会い

株式会社菓子道さんの経営理念は「お菓子づくりを通して人間性を高め、お菓子づくりを通して社会に貢献する」、経営スローガンは「お菓子づくりは笑顔づくり」です。これは、菓子道さんの目的はお菓子を作ることではなく手段であるということです。お菓子作りの先にある笑顔を作るためにお菓子を作っている、ということを表しています。怒りながらお菓子を食べる人はいないので、お菓子作りは素敵な仕事だと所講師は言います。
菓子道さんは岐阜にPlesic(プルシック)という名前のお店を出しています。店名はSimple(シンプル)とBasic(ベーシック)を組み合わせて作った造語だということで、「ベーシックなものをシンプルに組み立てたい」という所講師の思い・コンセプトから生まれたものです。
造語にしたのにはもう一つ理由があり、それは「なめらかプリン」が商標登録できなかったことでそこら中で「なめらかプリン」が乱発されたという苦い経験から、商標登録されやすい造語にしたということでした。

子供の頃は小児喘息を患っていた所講師は、休み時間皆が外で走り回って遊んでいる中、教室で一人本を読んでいるような大人しい子供だったと言います。
そんな息子を心配した父親が所講師を無理やり剣道の教室に連れて行きました。強引に剣道を始めさせられ嫌々ながら取り組んでいましたが、素質があったようで小学3年で始めて小学4年の時には県大会で3位になりました。それまで勉強もスポーツもできなかった中、剣道で優秀な成績を出せた事は所少年にとってとても大きな自信になりました。
このことから、何か一つ自信が持てるものをつくることはとても大切な事であり、努力する事で勝てるようになり、さらに努力すればさらに勝てるようになる、というスパイラルを生み出せるようになることが大事だということです。そのためには最初のきっかけだけは強制でもあり得ると所講師は言います。

その剣道の教えの中に「打たれて感謝」というのがあります。これは打たれる(打ち込まれる)ことによって自分の欠点に気づかせてもらったということであり、教えてくれた相手に感謝するということを意味しています。
また「残心」という教えは、攻撃後の相手からの反撃に備えること、油断しない事を意味しています。所講師がある洋菓子店を訪れた時この言葉を事務所に掲げていて、お客様の帰る後ろ姿にまで心を残すこと、感謝する事を徹底していたということです。
「守破離」という教えは、まず門下生として最初は道場の教えを徹底的に守り、上達してそこに疑問を持ったならそれを破っていき、最終的に自分の流派を立ち上げる、というものです。これは会社側と働く側双方に言えることで、特に会社側は入社した最初は会社のルールを徹底させることが重要だということでもあるということです。

所講師は剣道で海外に遠征に行くほどまでに強かったのですが、当時同級生の中にたいそう下手な子がいました。ところが、そんな彼は最近七段に昇格したというのです。所講師は驚きとともに「よく60歳過ぎまで剣道を続けられたな」と聞くと、彼は「剣道が好きだから」と答えました。その時、継続することの大切さと同時に、好きじゃないと続かないというのは仕事も同じであり、自分が「やりがい」を持って好きになれる仕事を選ぶということは非常に重要なことだということでした。
剣道とは「道の精神」であり、プロセスを大事にします。毎日コツコツ練習をして、その成果で日々自分が成長していく姿に生きがいや喜びを感じる。つまりプロセスそのものが目的になっています。
試合に勝つことは目標であり、それを目的にしてしまうと行き着く先が決まってしまい、頂点に立ってしまうと、その先が無くなってしまいます。プロセスを目的にし、日々の自分の成長を生き甲斐にすれば終わりはなく、永遠に成長につながっていくものだということです。

パティシエの道

父親がパティシエだったことから、所講師は幼い頃より「お前は跡を継いでケーキ屋になるんだ」と言われ、父親に敷かれたレールを歩んできたということです。
大きくなってから洋菓子の世界に入れたのは、見ていた父親の背中が格好良かったからだとも所講師は言います。だからこそ、大学を卒業後は父親に言われるままに南青山の「ヨックモック」に入りました。
そのお店の厨房にはこんな貼り紙がしてありました。
「シェフは神である」
「シェフがつまみ食いしているのは味見をしている」
「シェフが仕事中に新聞を読んでいるのは情報収集している」
「シェフが居眠りしているのは休息している」
「シェフが仮に間違った事を言ったとしても第1項目を思い出せ、シェフは神である」
息が詰まるような職場で、定時になると全員分のタイムカードを押す係がいて、そこから残業が始まる、といった大変な職場でした。

ヨックモックにはシガールという焼き菓子があり、所講師が入社した当時は人の手で一つ一つ巻いていましたが、売れてからは機械化されたのですが、理由がわからない工程が生まれました。
機械に原材料を入れると自動でかき混ぜられて生地の元が自動で出来上がるのですが、それを次の工程に移す前にわざわざ人の手で70回かき混ぜることになっていました。本来なら自動でかき混ぜられたものが自動で焼かれ、自動で巻かれ、袋に詰められて出てくるのに、なぜわざわざ異物が混入するリスクがある作業をするのか所講師には疑問でしかありませんでした。
その作業に何の意味があるのかを尋ねると「何を言っているんだ、これで美味しくなるんだ」と答えました。これについて、途中の段階で人の手を加えたところで美味しさが変わるわけではないと所講師は言います。ただ、機械化されたとしても商品の品質を守っているという自負を持った社員がそこにいることは大事だということです。
お店を辞めた後で同期の人に会う機会があり、「まだ70回かき混ぜてるのか」と聞いたところ、「当たり前じゃないか、これで美味しくなるんだ」と言われ、宗教にも似たものを感じながらも、会社が言うことがそれほどまでに浸透しているということがクオリティを守り、会社が永く続けられることでもあると所講師は言います。

家業の洋菓子店はさらなる修行のためにヨーロッパに行っていた27歳の時に倒産をしてしまい、帰る場所がなくなりました。
仕方なく北軽井沢のペンションで住み込みで働き、ベッドメイクや料理をしたりしていました。2年目の冬にケーキを作ってくれと頼まれ、ローストビーフを作っているオーブンでケーキを作りました。
その時オーナーから「所君はケーキを作っている時が一番幸せそうだね」と言われ、再び洋菓子の世界に戻ることを決意したということです。
その後愛知県のケーキ屋さんに入りましたが、かなりいい加減な経営をしていたことから、企業に入り直そうと考え「チタカ・インターナショナル・フーズ株式会社」に入社しました。
ちょうどトンカツ屋さんを出店していたこともあり勧められましたが、断って帰ったところ四日後に「東京の恵比寿(パステル)に空きが出たからどうか」と連絡があり、行くことにしました。

永く愛される商品を

パステルで「なめらかプリン」を開発する以前に、子供を対象にしたアンケートをとったところ、「食べれば食べるほど大きくなるケーキが食べたい」といった答えが返ってきました。それを見た所講師は、自分たちは夢のある仕事をしていることを実感し、夢を持って働くことが大事だと思いました。
また、プリンを開発する前には「ベストセラーではなくロングセラーのものを作りたい」と考えました。流行り物の商品はどうしても売れては無くなりを繰り返してしまいますが、そうではない頑なな思いを持った商品を作り、それを永く売り続けるということを目指しました。
所講師の名刺に書かれた「技術/心」を大事にしているということですが、これは心が伴った技術であるべきで、多少技術が劣っていても食べてもらう人に喜んでもらいたいという思いがこもったものの方が良いと言います。これは抽象的なことではなく、食べてもらう人に喜んでもらいたいという気持ちからは相手への配慮、相手が欲しいと考えるものを作ろうとするということであり、作り手にとってとても大事なことだと所講師は言います。

所講師が考える永く愛される商品の特徴はとにかく「シンプル」であるということ。
たくさん売れて永く売れているものというと、赤福餅、白い恋人、東京ばな奈、シガール(ヨックモック)など、いずれもシンプルなものばかり。
では、複雑なお菓子が永く売れない理由を考えると、第一にクオリティを守るのが難しい、第二に生産性が悪いからだと所講師は言います。
さらに、味、食感、ボリューム、ネーミングに嬉しい意味でのサプライズがあるとも言います。思ったより柔らかい、思ったより美味しい、といった期待を裏切るようなサプライズがあること。
あとは「わかりやすさ」。「クレームブリュレ」よりも「なめらかプリン」の方がわかりやすい。ネーミングにしろお店作りにしても、やたら主張し訴えようとするよりもわかりやすい方がヒットにつながるだろうということでした。

さらに所講師は「マーケットイン」ではなく「プロダクトアウト」だと言います。
会社にいた時、プレゼンを通すのであれば「今こういう柔らかいものが流行っています」だから「なめらかプリン」だと言うとプレゼンは通りやすいのですが、そういったマーケットインからでは大ヒット商品は売れないと言います。
現場が思いを持って開発をし、トライアンドエラーを繰り返す中で思いを持った商品が生まれ、周りの人が協力して「売っていこう」という力になった時に大ヒットに繋がるのだろうということでした。だからこそ開発者の思いが一番重要だと言い、一番努力をすることで周りが(自ら)協力してくれるということでした。

独立して菓子道へ

なめらかプリンの大ヒットによって所講師は「時の人」となり、会社でも役員にまでなりました。会社の幹部になったことから現場からも離れ、これまでとはまるで違う生活を送ることになりました。
収入も自由度も増えたわけですが、ある時「このままではいけない」と思い、なめらかプリン大ヒットから10年が経過した2008年にパステル(チタカ・インターナショナル・フーズ株式会社)を退社し、新しくスイーツマジックを設立しました。
パステルの同僚から知り合いのコンサルティングを交えて、一個600円の高級プリンを5個のセット3,000円のみをネット通販だけで販売するというもので、これも年間20万個という大ヒットになりました。
所講師は製造担当、他の二人は受発注業務、営業・宣伝を担当していましたが、年間20万個もの商品を作るとなると、朝4時から夜中2時まで作り続けるという忙しさでした。さらに、家族も巻き込んで休みなく作り続けていましたが、ある時パートナーの一人が息子の夏休みの宿題としてプリン作りをしているところの写真を撮りたいといってきたことで、所講師と手伝っていた家族はそれまでのストレスが爆発、一緒に仕事できないと激怒してしまいました。すると次の日FAXで「株主総会、所君退任の件」というのが流れてきました。その翌日には「いつ付けで退社、退任」といったFAXが流れてきました。所講師はFAX2枚で会社をクビになってしまったのです。

FAX2枚で会社から追い出された所講師でしたが、「なめらかプリン」の生みの親である所講師はそれまでにメディア関係の人脈があり、会社を辞めてからも多くの人が応援をしてくれました。
その中でも当時のZip FMの関係者にファンがいたことから、Zip FMでプリントロールケーキを販売してくれるという機会を得られたことがきっかけとなり、2010年故郷の岐阜県岐阜市に新たに「Plesic(プルシック)」をオープンすることになりました(株式会社菓子道は2009年設立)。
オープンもすぐメディアで話題となり、中京地区の人気番組で取り上げられた時は、番組終了後にはお店に長蛇の列が出来て、以後行列の絶えない人気店になりました。
オープン後から大変な繁盛ぶりでしたが、オープンした次の年に東日本大震災が発生します。岐阜県のお店に直接的な被害はありませんが、お菓子作りに欠かせない卵を栃木の養鶏場から仕入れていたため震災の影響で入らなくなりました。
周りは他から仕入れる事を勧められましたが、所講師はお客様のために全国から選りすぐって仕入れた卵ですから、一時的に入らなくなったからといっていきなり別のところから仕入れるというのはお客様を裏切ることになる、こう考えて8日間だけお店を閉めました。
8日間だけでも当時の1ヶ月分の売り上げが無くなったことになりましたが、その間知らずに来店されたお客様に対して事情を説明したチラシを配りお詫びのチョコレートを渡したことで、逆に「それだけのこだわりがある」という評価を得ることになったと所講師は言います。

所流哲学

所講師は値引きや安売りは一切しない、値引きは経営における麻薬だと言います。大手のスーパーなどではポイント還元などで値引きをすることで一時的に多くの人を引きつけようとするのがその表れであり、その原因は値引きをしないと売れない商品を作っているからだと言います。
プルシックの商品はすべての商品が「キラーコンテンツ」であり、そこまでにいたらない商品は販売しない。季節や流行に依存したような商品ではなく、プルシックでしか買えないものしか作らないというのが所講師のポリシーなのです。
所講師はこれまでの経験や多くの人との出会いの中から独自の哲学を持っていて、それを「所流哲学 菓子道」として11個の思いを披露してくれました。
1.毎日が人間性を高めるための修行である
2.動く周りに惑わされない自分を作る
3.周りを大切にすることが自分を大切にすることに繋がる
4.裾野の広い安定した山を目指す(急速な成長は崩れやすい、一つ一つの積み重ねは安定する)
5.シンプルに考えシンプルに行動する
6.周りと比べて劣っていることは恥ずべきことでは無い(但し1年前の自分より劣っているのは恥ずべきこと)
7.命を大切にする=時間を大切にする
8.歴史は勝者が作っていくもの、だからこそ正しい者が勝ち続けなければならない
9.人生のVSOP(ブランデーのVery、Superior、Old、Pale、を年代別に変えたもの。20代はVitality、30代はSpecialty、40代はOriginality、50代以降はPersonality)
10.「なら」のための「らしさ」をつくる(〜なら安心、といった評価されるための根本をつくる)
11.便利さをどう受け止めていくか?(使い捨ての気楽さよりも気持ちを大事にしたい)
( )は注釈

コンセプチュアルスキルを磨く

最後に、人との出会いや身を置いた環境がその人の人間性、引いては人生を形作るということを、フランス語の「テロワール」という言葉とその考え方を教えてもらいました。
テロワールとは「風土の、土地の個性の」という意味ですが、一般的にはワインの世界で用いられる言葉で、「ぶどう畑を取り巻く自然環境要因」のことを指す用語です。ぶどうなどの植物は同じ種類のものでもそれが育った土壌や環境、風土によって異なる質の実が育ちます。
所講師は以前さくらんぼの品種「佐藤錦」を生み出した山形県の佐藤さんの三代目に面会したことがあり、帰り際に畑で売り物にならないものとしてその場でさくらんぼをいくつかもらいました。所講師はそれとは別にお土産として空港で2万円の佐藤錦を買って帰りました。帰宅後に家族に出したところ、子供は畑でもらったものしか食べませんでした。
その時に聞いたのは、初代の佐藤栄助さんが佐藤錦を作り、他に広めたことで今では色々な所で佐藤錦が作られていますが、佐藤さんが佐藤錦を生み出した畑のものが一番美味しいということでした。これが「テロワール」なのです。
この植物が気候や風土に影響を受けるように、人間も家庭環境や職場環境など様々な環境に影響を受けます。影響されながら人間性が磨かれて形成されていくものですが、植物と違って人間にはそれぞれ思いや発想力があるのでそれは物事の「捉え方」として現れてくると所講師は言います。
飲みかけの同じ量のペットボトルの水を「もうこれだけしかない」と考える人もいれば「まだこれだけある」と考える人もいる。
これは、出会った人の考えや節目での経験やそこから学んだことによって変わっていくことでもあるので、その一つ一つを大事にして欲しいということです。

所講師の好きな言葉に「すべての壁ははじまりのドア」(「すべての壁は扉である」アメリカの思想家ラルフ・ウォルド・エマーソンの言葉)というのがありますが、これは壁に当たってそれを乗り越えた時に新たな自分を発見したり、乗り越えたことで得られるものがある、だから人生の中でのすべての壁は何かがはじまるドアであるという意味です。
人はそれぞれの境遇の中で生きていきますが、その置かれた境遇をどのように捉えるか、すなわち人生は決断の連続であるのでその決断を後悔したり、いつまでもクヨクヨすることが一番勿体無い、その時々の境遇をいかに「はじまりのドア」として捉えて変化を楽しむことこそが最善だということでした。
また、この「捉え方」はこれからの経営、特に中小企業の経営者にとって非常に重要で、日創研の研修の中でもこれを「コンセプチュアルスキル」として教えています。これは物事の本質を見極めて個人や組織の可能性を最大限まで高める能力を指し、さまざまな出来事に直面したときに、それぞれの事象に共通するポイントを素早く見抜き、正しい判断へと導ける力のことです。
例えば所講師がいる岐阜の英雄である織田信長が戦国時代で他を圧倒して急成長できたのはこのコンセプチュアルスキルが他の戦国大名より抜きん出ていたからだとも言われます。他が自分の領地を広げることだけを考えていたのに対して信長は武士が中心となる天下をつくると言う意味の「天下布武」のスローガンを掲げましたが、戦乱の世を国としてまとめ直す機会だとしたところに信長のコンセプチュアルスキルの高さが表れています。

このことから、所講師はこれからの中小企業に必要なのは、大手起業のような規模の拡大を目指すのではなく、キラーコンテンツを磨き、他には真似のできないコア・コンピタンスを持つこと、つまり価値の拡大こそが必要であるということでした。

 

所浩史講師、貴重なお話ありがとうございました。
ご参加いただいた皆様にも改めて感謝申し上げます。