遠くカンボジアで起業

今回はカンボジアの高級黒胡椒「カンポットペッパー」を現地で栽培からカフェでの小売までを手がける木下澪那さんを講師にお迎えしました。
木下講師は若干19歳で単身カンボジアに渡って、お一人で商売を始めました。ふとしたきっかけで知ったカンポットペッパーの魅力にとりつかれ、現地で商売することに決めたその経緯と、カンポットペッパーの魅力についてお話しいただきました。

木下講師は三重県四日市市の生まれで、高校を卒業して1年後の2017年19歳でカンボジアに渡り移住。2018年20歳の時に現地でカンポットペッパーを扱う会社として起業、2019年からはカンポットペッパーを扱ったカフェを経営しています。
カンボジアは現在急速に経済的な成長をしている国ですが、まだまだ発展途上にある国で貧富の差も激しく、川一つ隔ててビル街と貧困層の住宅街が並び立っています。アンコールワットなどの観光資源目当てで訪れる海外からの旅行客が多く、観光業がカンボジアの中心事業となっています。

木下講師が運営するカフェもアンコールワットがあるシェムリアップにあり、来店するお客さんもほとんどが観光客だということでした。観光客が多い時期は良いのですが、少ない時はお店もかんこ鳥が鳴く状態になるとのこと。
それだけにコロナ禍は国としても大変でしたが、木下講師がカフェを開いたのが2019年だったため、開店直後からピンチを迎えてしまったということです。
そんな厳しい環境下でも「世界一」を目指して頑張ってこれたのには理由がありました。

カンボジアに一目惚れ

ご両親がともに自営業をされていたことから、木下講師は物心ついた時から自立心を持ち、中学卒業後は看護師を目指し県外の高校へ進学。高校3年間は社会人経験のために接客業のアルバイトをして、お金を稼ぐ大変さを実感しました。
転機となったのは、アルバイト先にいたベトナム人女性が実家に帰省する時、バックパッカーに憧れていた木下講師が一緒に付いてベトナムに行ったことでした。

観光旅行として訪問したベトナムは著しい経済成長の途上にあり、訪れた最大都市のホーチミンには高層ビルが立ち並んでいました。その一方で貧富の差も激しく、川を隔てて高層ビルの対岸にスラム街が存在する現実を目の当たりにしました。
帰国後は大学進学をやめて海外で働くことに興味持ち、高校卒業後はJICA(国際協力機構)でさまざまなボランティアに携わりました。そこでさまざまな外国人と関わり、語学力を高めました。

そして再びベトナムを訪問した時、少し足を延ばして陸路でカンボジアに向かいました。
カンボジアに降り立った19歳の木下講師は心に感じるものがあり、即座にこの国に移住することを決意、その4ヶ月後にはカンボジアへ移住していたというまるで「一目惚れからのスピード婚」のようなその後の行動でした。

運命的な出会い

発展に伴って人口増加の著しいシェムリアップで暮らし始めた木下講師は、当初日本で紹介された日本語を教える仕事をしていました。
日本とはまるで違う環境が新鮮で、日々カンボジアの言葉とともにその文化を体感していました。
仕事をしながらカンボジア各地を巡っていた時、住んでいるシェムリアップから450kmも離れたカンポット州を訪れることになった木下講師は、そこで運命の出会いをすることになりました。

知り合いからそこは胡椒が有名だということを聞き、胡椒畑を見せてもらい説明を受けながら勧められた生の胡椒。
生の胡椒を食べることがない日本人の木下講師にとって、それはまさに驚きと感動の出来事でした。
日本のものとはまるで違う、辛み以上に爽やかな香りに衝撃を受け、それ以来木下講師はこの「カンポットペッパー」に興味を持ち、その歴史や文化を調べ始めました。

カンボジアのカンポットペッパーはフランスをはじめヨーロッパではよく知られており、観光客の多い木下講師が住むシェムリアップにも市場やスーパーで売られていて、お土産としてよく購入されていました。
しかし、カンポットペッパーの専門店はなく、市場やスーパーで売られているものは偽物でした。
そうとは知らずに観光客は皆本物と信じて買っていきます。
そのことに気づいた木下講師は、自分が食べた本物の、最高に美味しいカンポットペッパーの専門店を開くことにしました。
胡椒の美味しさと同時に生の胡椒を食べる文化に惹かれ、その文化を世界の人に伝えたいという思いに取り憑かれました。

良いものを安心して作り世界へ

木下講師は最初に訪れたカンポットペッパー農家さんと契約し、直卸、直売しています。
「作る人が幸せでなければ良いものは作れない」という信念のもと、契約農家さんと一緒になって仕事をしています。その一つは食事のお世話。
カンボジアの農家は薪による竈での調理が一般的なので、食事の準備は非常に時間がかかります。その負担を軽減させるために調理担当者を雇って食事を用意しています。これはいわば社員食堂だと木下講師は言います。

また、カンボジアでは給料の支払いが2ヶ月先、3ヶ月先が当たり前なので、月給制にして生活の不安も解消させるようにしています。
さらに、カンボジアの農家は農業の収入だけでは生活が難しいため出稼ぎをするのが一般的で、それゆえ家族が離れて暮らしています。
そんな生活を解消し、安心して仕事ができるように、家族が一緒にくらしていけ住宅を契約農園に用意もしました。

2020年からはカンポットペッパーを自社で輸出入し、日本でもECで販売していますが、さらに木下講師はカンポットペッパーを世界に広めるため、現在発信拠点として香港に目をつけ動いていると言います。
栽培が難しく、その伝統的な栽培法で作られたカンポットペッパーはすでに「ブランド胡椒」として認知されていますが、「生で食べられる胡椒」というのはまだまだ知名度が低いことから、日本だけでなく世界にも広めたいと考えています。
カンポットペッパーの魅力を世界に広めて自分が世界一になることで、カンボジアの文化と国に貢献したいと考えているのです。

農園が人手不足の理由

働く人の幸せを考えた木下講師の契約農園でも現在は人手不足の状態だと言います。
その理由はたくさんありますが、実はカンポットペッパーというブランドを守るために厳密なルールがあり、そのルールを守って栽培する難しさ、それに加えてそもそも胡椒という植物を作ることの難しさが原因として挙げられます。
胡椒の木は実をつけるまで3年もの期間を要する、一筋縄ではいかない植物。
栽培の難しさに加えて、資金的な問題、雇用の問題、品質維持の問題から近年胡椒畑を放棄する畑も多い。

ルールの中にはカンポットペッパーは昔ながらの伝統農法で育てるという決まりがありますが、上記の理由から胡椒畑が少なくなっていく中、仕事が減少していくので栽培職人さんたちが離職しているということが増えてきているのです。
技術を持った職人さんたちが居なくなることで、カンポットペッパーを未来へ次の世代へ繋ぐことが難しくなってきていると木下講師は言います。

カンポットペッパーとカンポットペッパーを育てるノウハウを持った技術者さんたちを守り、100年以上前から受け継がれている伝統農法、その技術を次世代の未来へつなぎたい。
そんな危機的なカンポットペッパーを守るためには自分の仕事に誇りを持ち、自分の持つ技術を最大限に活かせる環境を作り続けていく事が自分の仕事であり使命であると木下講師は言います。

価値の創造は誰かのために働くことから始まる

木下講師はこのカンポットペッパーの技術者を守るために専門店を立ち上げましたが、コロナ禍で思うように販売ができなくなり資金不足に陥りました。
木下講師が一人で悩んでいたところ、ある時スタッフが心配をして声をかけてきました。
費用の悩みを打ち明けると、スタッフから「なぜ周りに助けを求めないの?」と問われました。
経営者として未熟であることを曝け出すようで恥ずかしいと答えると、「あなたが倒れたら私たちみんなが倒れてしまう」と咎められ、意を決しててクラウドファンディングを始めました。

始める前はプライドが邪魔していた木下講師でしたが、やるからには全力で取り組もうと自分の働いている姿やこれまでの経緯、そしてカンポットペッパーに対する思いを訴えかけました。
木下講師は今でこそSNSで積極的に情報を発信し、学校などで講演もしていますが、元々は人前に出ることが苦手で、自分のことを伝えることをしてきませんでした。
このクラウドファンディングも目標(100万円)の半分も集まらないのではないかと不安でしたが、結果は目標の1.5倍以上の寄付が集まりました。
クラウドファンディングでの成功(目標金額達成)によって、情報を伝えることの重要性に気づいた木下講師は、カンポットペッパーのブランド価値を高めるためにも周辺情報を積極的に発信することにしました。

カンボジアの給与水準は年3万円ほどというとても低い。だから生活のためには実入りの良い仕事を求め、不安定な胡椒栽培の仕事は敬遠されていく。
でも、カンポットペッパーの栽培の難しさや厳しいルールをクリアした高い品質が認められれば高額でも販売でき、栽培する農園と技術者さんたちも満たされる。
そのためには、カンポットペッパーの素晴らしさと品質、希少性を広く伝えていかなければならないということに気づいた木下講師は、あらゆるメディアでカンポットペッパーとそれを栽培している契約農園の魅力を発信しています。

木下講師の価値創造の原点は「人と違うことに挑戦することで輝きたい」ということだと言い、カンボジアで二十歳で商売を始めたのも、同じ年齢性別でカンボジアで商売をしている人がいなかったからだということです。

知り合いにサッカーでプロになった人がいましたが、激しいプレースタイルが日本では評価されずいつも2軍だったそうです。
でも、一念発起しカンボジアのチームに移籍すると、すぐに注目され今ではアジアの大会で日本とも戦うこともある香港の一部リーグのチームに所属し主力選手になっているとのこと。

誰もやっていないことに挑戦するのはリスクも多いが、視野を世界に広げるとどこかに自分の特性が生きる場所があり、リスクよりも挑戦することで自分が主役になり輝くことができる。
この広い視野とチャレンジ精神、そして輝かしいビジョンが木下講師の価値創造の原動力であるようでした。

木下澪那講師、貴重なお話をありがとうございました。
ご参加いただいた皆様にも改めて感謝申し上げます。