11月19日、江東区文化センターにて11月例会が開催されました。
総合司会は事務局次長の大泉善稔さん、広報例会運営委員会の副委員長である伊藤博夫さんの開会宣言から始められました。
続いて栗駒会長からの挨拶があり、今回も東京経営研究会の会員が講師を務めた例会であることが紹介されました。
今回の講師は、有限会社丸彦家具センターの代表取締役である小暮邦彦さんと、株式会社バンビの取締役部長である舘林秀朗さんです。
そして、同じく東京経営研究会の経営研究室 室長の塚本誠さんをホストとして、お一人ずつとの対談という形で進められました。
今回のテーマにある通り、100年企業の本質に迫ろうというもので、東京経営研究会の会員企業の中から社歴が長く、100年近い2社が選ばれました。お一人目の小暮邦彦さんの丸彦家具センターさんは1923年(大正12年)創業で、社歴92年の家具屋さんです。小暮さんで現在三代目となる訳ですが、そこまでに至る歴史をひも解きながら、丸彦家具センターさんが生き残ってきたその術、理由をお話し頂きました。
大正12年というのは関東大震災があった年で、その復興需要の中、焼け残った家具をリサイクルしたものを販売するところからスタートします。その後深川で正式に家具店として商売を始められ、その復興需要もあってとても盛業でした。しかし、昭和に入り太平洋戦争がはじまり、東京大空襲でお店は焼けてしまい、現在の三軒茶屋に移って再スタートとなりました。
と言っても、戦後のインフレでそれまでの蓄えは紙くず同然、多額の借金をしての再スタートでしたから、家族総出で昼夜休みなく働いて建て直していきます。そんな中でも大変なことは数々起こるのですが、それを親子で乗り切り、それによってうまく創業者から2代目へ事業が引き継がれていくことになりました。
その後は、戦後の復興需要、さらに社会生活の変化に応じて婚礼家具からリビング家具などが飛ぶように売れ、バブル景気の頃まで順調に進んでいきました。
しかし、バブル景気の終焉と共に徐々に厳しくなっていき、また元々が価格競争の激しい業界にあって、さらに価格の安い家具を販売する会社も現れ、変革を求められます。
そんな中に今回講師の小暮邦彦さんが入社しました。
小暮さんは、入社前は百貨店に勤めていましたが、一から家具のことを学ぼうと、入社後に別の家具屋さんに修行に入ります。お店に戻られてからも、厳しい現状を変えるため、全国の家具屋さん100店舗を見て回り、家具業界の新しい潮流を探しました。また、海外の家具展示会にも足を運んで、日本とは違う文化を吸収し、それを取り入れることにもしました。
現在は、オーダーメイドを含む日本の一流家具メーカーの商品とイタリアとドイツの家具メーカーの商品を扱い、他とは一線を画す高付加価値商品による住環境の提案ができる会社に変わろうとしています。これまでとは違う会社に変わることで、ついてこれない社員さんは辞めていったのですが、今は若く、何より「家具が好き」という社員さんが集まっているとのことでした。
小暮さんは、今自分があるのは、創業者とこれまで続けてきてくれた先代のお陰であり、感謝しかないと言います。そしてこれからは「家具屋さん」から士業のような仕事に変わっていき、よりお客様に貢献できる会社に、100年を見据えて変化し続けていきたいということでした。
会場には先代である小暮さんのお父さんとお母さんもお越しになられ、質疑応答の際にホストの塚本さんの計らいで一言お話しをして頂きましたが、現社長であり息子である小暮さんへの労わりと期待を述べられていました。
続いて株式会社バンビの舘林秀朗さんです。
バンビさんは1930年(昭和5年)設立で創業84年の会社で、時計ベルトの国内トップメーカー、革ベルトと金属ベルトの工場を持ってどちらも供給できるのは日本で唯一の存在です。
創業当時はメインが銀製の喫煙具の行商から始まり、その頃はまだ時計本体とベルトが別々に販売されていたので、商品の一部として革製のベルトも販売をしていました。
創業者(舘林さんの祖父)はとても営業熱心で同時に営業上手であったため、大手の時計メーカーとの関係を深め、ついには時計本体とベルトがセットされた「完成品」販売にあたり、バンビさんと協業(OEM)するに至りました。
これによってバンビさんの売り上げは飛躍的に伸びていきます。
そこでさらに受注を増やすべく新しい工場を建設をしたのですが、その大手メーカーからは受注がまったくもらえないという事態になり、慌てて自社製品として販売することに力を注いだそうです。自社製品としての販売を頑張ったおかげで、これが一つの柱となり、大手時計メーカーのOEMの2本柱で今日まで大きく発展することになりました。
同時にこの自社製品ができたために、大手メーカーの下請けのような存在になることなく、時計ベルトメーカーとして独立性を保つことができました。
過去には芸能人をモデルとしてラジオCMやプロモーションを展開し、ブランド力を高めていきました。さらに、バブル景気の頃にジュエリーにも進出し、「バンビジュエリー」として幅広く手掛けていました。
バブルが崩壊した頃は、このジュエリーは市場が大幅に縮小したために、かなり厳しい状況に陥りますが、何とか乗り越えていきます。同業他社は、やはり宝飾関係に進出しかなり無理な商売をしてしまったところがバタバタと倒れていきました。
バンビさんがこの時生き残れたのは、経営研究会の3つ誓いにもある「投機的なことには一切手をつけず、健全経営を心掛け」た結果であったと舘林さんは言います。
この頃は舘林さんのお父さんが2代目としてやられていたわけですが、この堅実健全な経営(判断)ができたのには理由があり、一つには2代目がとても勉強熱心で社長になる前から経済や経営についてしっかりと学ばれてきたために、そのような話があったとしても頑なに拒否をして、コツコツとやってきたからだということでした。
そしてもう一つが、創業者、つまり2代目のお父さんが普段から「倹約家」であり、とても厳しく躾けられたため、それが身について経営者になった時に強固な土台となっていたためだということです。
その後代替わりして現在は4代目の社長がバンビのその精神を引き継いで、近い将来舘林さんが5代目として引き継がれることになります。
また、バンビさんが今日まで時計ベルトメーカーとして独立性を保っているという点もお話し頂きましたが、これまでに大手時計メーカーから出資話が持ちかけられたそうですが、それを断り、あくまで独立性を保ってきました。この判断ができるのも、堅実に経営をしてきたことによるしっかりとした財務があったからこそだということです。
舘林さんは現在経営幹部ですが、やはり以前は別の会社にいたということです。舘林さんは二男なので会社を継ぐことは考えていなかったのですが、第三者の誘いを受けて入社されました。
現在は経営幹部として、また近い将来後を継いでいくという立場として、これまでの会社の歴史、先代の業績を考えた時、やはり感謝しかないと言います。同時にそのバトンを自分が引継ぎ、さらに次の代に引き継いでいく責任があることを受け止めているということでした。
質疑応答の際には、監事である藤野隆司さんから社長になる覚悟を問われる場面もありました。
今回の例会は「100年企業」というテーマがありましたが、それに加えて同じ東京経営研究会の会員同士のことを知り、互いの経営について学ぶということを目的としていましたので、100年近い永続経営を学ぶと同時に、それを引き継ぐ若い経営者に対し先輩会員が激励するという、経営研究会ならではという例会になりました。
お二人のそれぞれの社員さんも参加されて、改めて自社のことを知り、社長、経営幹部の思いを知る機会にもなりました。
そして何よりお二人が自社のルーツを深く知り、創業者と先代の苦労と努力を学び、今日あることへの感謝を改めて持つことができました。
100年に向けて、さらにその先に向けてのビジョンと責任を持ち、語って頂きました。
最後に事務局長の寺門聡一郎さんから謝辞が述べられ、広報例会運営委員会の副委員長である浜田正雄さんの閉会宣言によって終了となりました。
今回ホスト役を務めて頂いた塚本さんの進行、場を和ませる気のきいたジョークとアドリブは抜群で、まさにカンブリア宮殿の村上龍さながらでした。今後引っ張りだこになる予感すらしました。
本当にありがとうございました。
また、ご参加頂いた会員の皆様にも感謝申し上げます。
ありがとうございました。
【出席数】
会 員 : 43名
オブザーブ : 23名
合 計 : 64名
12月は20周年記念事業第3回であり、今年度最後となりますので奮ってご参加下さい。
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