丁稚からのたたき上げ〜日本初の専門メーカーへ

今回のお話は、工作機械用の工具メーカー、いち町工場から身を起こし、創業してからの約50年間の平均経常利益率39%、上場まで果たした「エーワン精密」の創業者で現相談役の梅原勝彦さんに、これまでの経験と実績から経営における「原理原則」を教わりました。

梅原講師の父親は東京で町工場を経営していたのですが、戦後のどさくさを乗り切ることができず破産してしまい、一家は離散してしまいます。梅原講師も親戚の家に預けられ、小学校を卒業するとすぐに町工場に丁稚として働き始めました。
仕事は金属に刃物を当てて削り出す「金属挽物」という旋盤工。当時は”ろくろ”といって削り出す加工部分が熟練技術であり、梅原講師も丁稚の頃からその技能者として修行してきました。
腕を磨いていた22歳の時、「若くて腕のいい職人」としてとある電子部品メーカーから誘われました。それまで働いてきた町工場とは違い規模も大きくて待遇も良いということで喜んで入社した梅原講師でしたが、そこで運命的な出会いがありました。
そこにあったのが「カム式自動旋盤」というもので、人の手先で削り出していたところをカムという工具を使って機械的により緻密に加工ができるというものでした。これからは”ろくろ”ではなく機械的な自動旋盤だと考えた梅原講師は社長に頼んで自動旋盤の仕事をさせてもらうことにしました。
当時このカムという工具は自動旋盤のメーカーが一緒に供給していました。ところが、実際に機械を扱う梅原講師のような職人さんからすれば、それは非常に「使い勝手の悪い」ものでした。使う側が使いたいような工具を買えるのではなく、メーカー側から一方的に供給されるものだったからです。なおかつ費用も高価な上に納期も遅い。
より良いものをより安く、早く納めるというのが商売の鉄則であるはずが、メーカー側がまるで逆の動きをしてくる。でも中学しか卒業していないから、会社で頑張ってもせいぜい課長止まりだと考え、常々独立の機会を伺っていた梅原講師にとってこれはチャンスだと考えました。これは自動旋盤用のカムという工具を供給するのが機械メーカーしかないからだと考え、このカムの専門メーカーとして独立することにしました。1965年梅原講師が26歳の時、実の兄を誘って「日本初」のカム専門メーカーを立ち上げました。

技術革新を見据えての大きな決断

地道な営業と現場で使う人に合わせたカムを作る、現場の求めているものがわかるメーカーとして、さらに価格は機械メーカーの半分ほどの値段ということで喜ばれ、順調に売り上げを伸ばしていきました。
ところが4年後の1969年に時計メーカーのシチズンさんが、時計の緻密な部品を作るために「数値制御(NC)」によるカム成型機を開発しました。それまではカムも手作業で作られていたので、その緻密さには限界がありましたが、NCによって謂わば「桁違い」のカムが自動で作ることができるようになったわけです。
この機械が出てきた以上、この機械を導入する以外には「日本一」のカム製造会社にはなれないと考えた梅原講師は、現在の価値で1億円もするその高価な機械を購入することをお兄さんに相談しました。
しかし、お兄さんは当時の年商以上のその価格が高すぎるとして聞き入れてくれませんでした。「手作りのカムを買ってくれるお客さんがいるのに、こんな会社の年商以上の高価な機械を買ったら会社が傾く」というのがお兄さんの意見。一方実際にお客様と何度も打ち合わせをしてきた梅原講師は注文の「精度」が年々上がってきていること、作られる製品が小さくなることで部品もどんどん小さく微細になってきていることに気づいていました。将来的にはこのNCの機械で作られたカムでなければいけなくなることが見えていた梅原講師はお兄さんと袂を別つ決意をし、当時6人いた社員のうち3人を連れて現在のエーワン精密を立ち上げました。

ただ、当時2000万円(現在の約1億円)というお金は無かったので銀行に融資してもらうよう何行にもお願いしましたが、会社の規模から考えて無謀であり、なおかつ頭金も無いのであれば貸せないと断られました。さすがに無謀な計画だったかと焦り出した頃、当時まだ付き合いの無かった銀行の支店長が梅原講師の話を聞いて無担保での融資を引き受けてくれました。
さらに、機械を売ってくれるシチズンさんもあまりにもリスキーな投資を心配し、なおかつ当時不景気だったこともあり1500万円まで値を下げてくれました。

こうして無事にNCのカム成型機を導入したエーワンさんには仕事の依頼がひっきりなしに来るようになりました。その機械で作られる精密なカムによって、それまで小さな町工場では考えられなかった大手の電機メーカーからも注文が来るようになりました。
このことは嬉しい悲鳴でありましたが、こなしきれないほどの仕事量に会社は本当に悲鳴をあげていました。このままでは社員さんが倒れ、会社がまわらなくなると考えた梅原さんは再度シチズンに連絡を取りました。売ると言っていたNCカム成型機ですが、まだ残っているかと尋ねたところ、あまりにも高価なのでエーワンさん以外では買い手は見つかりませんでした。それならと残りの機械も購入することにしました。

さらなる技術革新を見据えての新事業投資

このNCカム成型機による精密なカムのお陰で会社は売り上げを飛躍的に伸ばし、朝早くから夜遅くまで頑張ってくれた社員さんにも多額のボーナスで報いることができました。
でも梅原講師はこの時すでに、次の時代のことを考えていました。これからは旋盤そのものもNCが主流になると考えた梅原講師は、現在売り上げの中心になっているカムに代わる新たな工具の開発に挑みました。それが現在エーワンさんの中心である「コレットチャック」でした。
カムもコレットチャックも旋盤の工具ですが、カムが加工する部分の工具(金属を削り出しを制御する工具)に対して、コレットチャックは削り出す金属を回転させる機械に取り付ける工具です。削る精度を制御する部分はNCによってデジタル化、自動化されることによってカムという工具は無くなるでしょうが、旋盤に金属を「取り付けるための工具」は加工するものによって種類が必要ですがデジタル化の要素はなく無くなることはありません。
当初は原材料さえわからないというところからスタートしましたが、カムで儲かっている間に稼いだ資金の大半を次代の製品のために投資しました。初めの頃は傷がつく、割れるなどといったクレームが沢山来ていましたが、諦めず問題を一つずつ解消していき、次第にコレットチャックのメーカーとしても成り立つようになりました。
コレットチャックの研究開発を始めてから12年後に開催された工作機械の見本市に、シチズンさんがいよいよ小型NC旋盤を出品しました。カムメーカーはカムがいずれ無くなることを実感し、慌てて新しい製品の開発に取り組み始めました。そんなカムメーカーを尻目にエーワンさんは既にコレットチャックがカムと同等以上の売り上げを作り、コレットチャックメーカーと言っても良いほどに成長させていました。
エーワンさんがこれほどまでにコレットチャックのシェアを伸ばすことができた要因は、カムと同じで供給者が大手の機械メーカーだったことでした。大手の機械メーカーはやはり品質は良いけれども値段が高く納期もかかる、という「小回りの利かない」やり方でした。そこで品質を高めつつ小回りを利かせた販売で市場を席巻、大手メーカーを市場から撤退させることに成功しました。

会社の将来を見据えての挑戦

カムとコレットチャックの成功によって経営が安定してくると梅原講師には新たな不安が出てきました。それは自身の引退と後継でした。
31歳でエーワンさんを創業した梅原講師も55歳を迎えた頃には引退後のことが気になり出しました。特に創業者の引退は内外ともに影響が大きく、失敗はできない。
そこで梅原講師が気になったのは、社員さんが現在の恵まれた環境を当たり前にしていないかということでした。松下幸之助翁やオムロンの立石一真さんが言っていた「会社は30年も経つとマンネリという大企業病にかかる」という言葉が頭をよぎります。
創業の頃は営業から納品、そして集金までお客さんのところに出向いていましたが、今では営業をしなくても注文が入り、納品も宅配便で届けられ、代金は振込まれる、こちらから出かける必要はありません。
苦労を知らない今の社員さんに後を任せるわけにはいかない、と考えた梅原講師は新しい市場開拓を任せることにしました。それは「切削工具」でした。
金属を削るのは仕事の中枢で、その工具ですから市場も大きい。でもそれだけに大手メーカーが市場をほぼ占めていて、入り込む余地はありません。そこで梅原講師が目をつけたのが使い古した切削工具を「研ぎ直す」という仕事でした。
ただし、こちらは単価が非常に安く、同じような仕事を大手の下請け仕事としてやっているところが多い。次代を担う社員さんを鍛えるとはいえ、かなり厳しい仕事だと思いましたが、当時は梅原講師の一声で決めていたので、「大企業病」の不安を払拭させるためにやってもらうことにしました。
始めた当初は再研磨用の機械を入れても、競争が厳しいので赤字続きでした。さすがの梅原講師も難しかったかと思いましたが、2年後には黒字になりました。社員さんは悪戦苦闘の中、知恵を絞り工夫して利益を出し事業として成立させ、今では立派な一部門にまで成長させました。梅原講師はこのことから自分の心配が「杞憂」であったことを理解しました。社員さんは道筋をつければちゃんと進んでいける、それだけの力を持った組織に育っていました。
社員さんの育成を図り、後継者も決まり、梅原講師は2007年68歳の時に社長を交代しました。この時代表権のある会長として残って欲しいという要望はありましたが、それでは自分の影響力が残ったままで何も変わらないと考え、代表権も返上し「相談役」となりました。

大きな決断の留意点とタイミング

梅原講師はこれまで、カムに始まりコレットチャック、そして切削工具の市場に参入するという大きな決断をしてきましたが、その決断の際には自分なりの「留意点」があると言います。
一つは「その事業が世の中に必要とされているものか」ということ。これまでの3つの事業はいずれも「問題」を抱えていました。その問題を解決できる事業こそが「必要とされている」事業です。カムもコレットチャックも大手メーカーが手がけていた頃はコストも納期もかかる上に使い勝手が悪いものでした。切削工具の再研磨については必要な事業でしたが、採算性が悪いために業界として「利益の出る」事業にする必要がありました。

この「利益を出せるか」というのが二つ目の留意点です。その意味では確かに再研磨の事業は苦しんだところはありますが、その時の目的は事業化以上に社員さんを育成するという目的がありました。さらに再研磨に取り組んだのはカムとコレットチャックで十分な余裕が会社にありました。大きな決断というのは会社の将来を左右するものですから、利益が出せる事業でなければいずれ会社は倒れてしまいます。この意味からも、大きな決断の際には「利益が出せるか」ということを見極める必要があると同時に、大きな投資をするのはそれだけの利益を他で出し、十分な余裕がある時でなければいけないということでした。

そして留意する三つ目は「万に一つでも業界でトップになれる可能性があるか」ということです。いつまで経っても自分の会社が業界でどれほどの位置にいるのかわからないようでは、常に激しい競争の中にいて浮き沈みのある不安定な事業となる。カムやコレットチャックは元は大手メーカーが機械と一緒に販売していたものですが、工具はユーザーのレベルや用途に合わせる必要がある「多品種小ロット」に対応できる会社が求められていました。この大手メーカーでは対応できない、事業の「隙間」こそが考えるべきところなのです。大手が参入しない市場であれば「万に一つでもトップになれる可能性」はあります。

さらに、新事業を行うタイミングについても教えてもらいました。それは留意点にもあったように、現在の事業が好調な時に行うことです。失敗しても会社が傾くことがないよう、十分な余裕がある時でなければいけないということ。反対に現在の事業が苦しい時、あるいは切羽詰まってから新事業に取り組んでも、焦りや不安を抱えたままではチャレンジが中途半端なものになってしまい、まず上手くいかないからです。
また、余裕があれば仮に上手くいかなければすぐに撤退をすることができ、損害は最小限に抑ええることができます。経営者は絶対に社員さんとその家族を守らなければいけません。会社が倒れるようなリスクの高い決断はしてはいけません。そのためにも、失敗してもリカバリーできるだけの十分な体力と事業体制がある時に新しい事業にチャレンジすること。
言い換えれば、会社がそういう状態にあれば、先のことを考えて新しい事業にチャレンジしておかないといけないということです。世の中の景気はどうしても良い時と悪い時があり、今が良くても必ず悪くなる。景気が後退し、会社の業績が悪くなってきてから新しい事業に取り組むと先述の通り失敗します。また、景気だけでなく、エーワンさんが将来のNC旋盤が主流になることを捉えて、カムが好調な時にコレットチャックの研究に着手し始めたように、時代の流れを読み、未来志向で経営していかなければいけない。このことからもとにかく会社が好調な時こそが新しい事業にチャレンジするタイミングだと梅原講師は言います。

経営上の原理原則〜繰り返す好不況、納税の喜び

では、景気が悪くなった時、会社は何をすれば良いのでしょうか。好況と不況は必ず交互にやってきますから、不況になった時に会社がやっておくことは、次の好況に備えることだと梅原講師は言います。
会社の建物、設備の更新、新しい機械の購入などは不況の時にすべきだと言います。なぜなら、機械メーカーも不況の時ほど売りたいわけですから、価格を下げて購入することができます。
また、好況の時はどうしても気持ちが緩んでしまうので、無駄なものを購入するなど間違ったお金の使い方をしてしまいます。不況ほど緊張感を持って正しいお金の使い方ができる時なのです。
さらに、こういった投資は内部留保があって初めて実行できるわけですが、その内部留保が持てるようになるにはどうすれば良いのか。梅原講師の答えは「喜んで税金を払うこと」でした。
なぜなら、税金は利益が出て初めて「支払える」ものだからです。企業の社会的責任は「雇用」と「納税」です。でも、利益が無ければ税金は払えず、利益が無いというのは社会から必要とされていないことを意味しています。つまり、税金を払えるというのは社会から必要とされていることを意味し、喜ぶべきこと。だから、「税金で半分も持っていかれる」と考えるのではなく、それだけの支持を得られた、その証だと喜んで払う。そして次はもっと多くの税金を納められるようにするのが正しいのだと梅原講師は言います。
また、不況になると人件費を削減しようとする経営者がいますが、社員さんとの出会いはすべて「縁」であるから定年まで働いてもらうというのがポリシーだと梅原講師は言います。
同時にそれだけ良い人材を得るのも好況時よりも不況時だということです。現在のような好況でどこも人手不足という時、つまり学生側に有利な条件の時はまず良い人材は大手へ向かいますから、中小企業には良い人材は集まらない。人材も新事業と同じで育つまでに10年はかかるわけですから、よほど良い人材でなければ採用してはいけないと梅原講師は言います。

会社にとって利益はとても重要なものですが、それを生み出すことについて、「価格を守ること」と「コスト削減」について教えてもらいました。
価格を守るためには「お客さんに主導権を持たせないこと」だと梅原講師は言います。例えば競合他社が価格を下げて自社の顧客を取っていった場合、絶対に「取り返し」に行ってはいけないということです。取り返そうと思ったらさらに価格を下げないといけないからです。ライバルに取られても顧客の方から帰ってくるのを待つこと。そのためには普段から仕事の質と品質を磨き高めておくことが大切だということでした。
コスト削減について梅原講師は、必ず経営者自身が現場に足を運んで、「常に」コストダウンを考えていないといけないと言います。そのためには、経営者は現場で社員さんと同じかより低い目線で見れるようになること。機械や作業手順について無駄を減らせるところは無いか、あるいは社員さんが気持ちよくモチベーション高く働く環境になっているかどうか。これらは現場から上がってくる書類や数字を見ているだけでは「気がつく」ことはありませんし、思っていても社員さんから言ってくることはありません。経営者が現場の社員さんの立場に立って、現場を捉えていかなければ、利益につながるコスト削減はできないということでした。

梅原講師は最後に社員さんよりも学ぶべきは経営者であり、人格形成のためにも読書を強く勧められました。
人と出会い直接人から学ぶことは大事ですが限界がある。けれども書籍であれば、例えば孔子のような偉い人の話を何度も何度も繰り返し学ぶことができる。だから特に歴史や過去の先人たちの考え方や起こったことを学ぶことは、書籍ならではであり大変有意義なことだということでした。
梅原講師もこれまで大きな決断をし、「運良く」成功することができたけれども、その過程では涙も流したしうつ病にもなったと言います。経営者は孤独であり、精神的にも追い詰められることもある。だから悩んだ時に教えてくれるのが本であり、心を落ち着かせてくれるものだと言います。
さらに、大手企業の有名な経営者にも多いですが、仕事から離れられる趣味を持つことも大切だということでした。梅原講師の場合は「琴」で、師範の資格を持つほどの腕前ということでした。今でも弾くことがあるし、弾くと自然と心が落ち着き、人前で話す時も緊張することが無くなったということでした。

梅原勝彦講師、本当に貴重なお話をありがとうございました。
ご参加の皆様にも改めて感謝申し上げます。