今回は、墨田区の町工場でありながらゼロから、つまり開発からものづくりに携わることができる会社としてさまざまな人が集まる株式会社浜野製作所の代表取締役 浜野慶一氏をお迎えして、「人が集まる会社」の魅力について語っていただきました。
逆境から得たもの
東京都墨田区の浜野製作所は、1968年に浜野慶一氏の父である嘉彦氏が始めた小さな金属金型工場から出発しました。
その後プレス加工へと仕事を広げ、1978年に株式会社となりましたが、慶一氏が会社を継いだ1993年は、嘉彦氏が亡くなった直後、取引先はわずか数社でした。さらにその2年後には経理をしていた母親も他界、当時唯一の職人も年齢と体力の衰えを理由に退職し、浜野講師はたった一人で仕事をすることになりました。若い二代目の前に、会社をどう存続させるかという現実が突きつけられました。
追い打ちをかけたのが、2000年の火災です。
近隣からのもらい火で本社兼工場が全焼し、唯一の加工機械も煤だらけになり、それを火災の前から手伝いに入ってくれていた現在の金岡専務と二人で、仕事を再開するために毎日深夜まで落とし続けていました。
浜野講師は、地域の人々の助けを受けながら仮工場で営業を再開し、短納期の難しい注文にも応えて取引先を増やしていきました。この逆境と、再起を支えてくれた人たちへの感謝は、後に掲げる「おもてなしの心」という経営理念にもつながりました。
ありがとうと言われる仕事
会社の向きをさらに変えたのは、大企業からの注文ではなく、一人の父親からの問い合わせでした。
「交通事故で下半身に障害を負った幼い娘のため、自宅で使えるリハビリ器具をつくりたい」
その父親は介護用ベッドを改造しようとして、ベッドメーカーに相談窓口を通じて依頼しましたが、待たされた挙句に断られ、加工部品の製作を「藁にもすがる思い」で浜野製作所へ依頼してきました。
事情を知った浜野講師は依頼を引き受け、依頼通りわずか1週間で器具を完成させて届けました。
その後届いた父親からの言葉は「ありがとう」と「感謝」で埋め尽くされており、浜野講師の「自分たちの技術で、人が切実に必要とするものをつくれる」という実感につながりました。
それまでの中心は、注文された図面に従って部品を加工する仕事が中心でしたが、この依頼では先にあったのは図面ではなく「娘のために何とかしたい」という願いでした。
必要な形を考え、つくり、届ける、その経験が浜野製作所にとって開発型の仕事へ進む転機となりました。
挑戦する姿を見せる
一人の父親から届いたリハビリ器具の依頼は、浜野製作所に新しい仕事の意味を教えました。
図面どおりに部品をつくるだけでなく、「こんなものが必要だ」という願いを聞き、形から考えてつくる。
浜野製作所は、そのような開発の仕事を会社に根付かせようと、電気自動車「HOKUSAI」や深海探査機「江戸っ子1号」の共同開発に参加、加工を担う職人たちが設計や開発にも関わり、経験を積んでいきました。
その挑戦は、町工場を見る人々の目も変えました。
「江戸っ子1号」に続き、社員たちが大手メーカーや大学と競う姿はテレビでも取り上げられ、話題に。
作業着の社員たちが、考え、試し、失敗し、またつくる、という姿から伝わったのは、「浜野製作所なら、ものづくりの面白いところから仕事ができる」という会社の魅力でした。
ものづくりが好きな人にとって、会社の大きさだけが働く場所を選ぶ理由ではありません。
自分の発想を試せるか、つくったものが動く瞬間まで関われるか、浜野製作所が取り組んできた開発はそうした思いを持つ人に、この町工場で働く理由を示しました。
会社自身も、プロジェクトへの挑戦や若手の起用を、人材との出会いにつながる取り組みとして捉えています。
いまでは、自動車や化学などの大手メーカーからの出向者も受け入れています。
これは、かつて大手企業の下請けとして仕事を受けていた町工場が、メーカーの人材も加わって開発に取り組む場になったことを示しています。
続く、ものづくりの物語
現在、浜野製作所の事業には、各種装置・機械の設計開発から板金、プレス、機械加工、組立までが並びます。
火災からの再起で磨いた「頼まれた仕事をやり遂げる力」は、ある父親からの切実な依頼を通じて「まだ形になっていない困りごとを引き受ける力」へと広がり、「江戸っ子1号」で組織の経験になりました。
工場全焼という逆境を越えた浜野製作所は、技術を磨くだけでなく、「ここなら好きなものづくりに挑戦できる」という「働く価値」を育ててきました。
浜野製作所の変化は加工技術を土台に、部品をつくる町工場から必要な装置を共に考え、開発する町工場へと仕事の領域を広げました。
開発の仕事が人を引きつけ、集まった人が次の開発を生む。
町工場でありながら、人が仕事を選んで集まる会社へ。
その変化こそが、浜野製作所の「ものづくりの物語」でした。



