fukuda kaikai10月16日、豊島区民センターにおいて、東京・西東京合同の例会が開催されました。

西東京との合同例会でしたので、当日はたくさんの方にお越しいただきました。

今回の例会は日創研の公式教材である「理念と経営」を使った学びと勉強会について改めて考える、また実際にやっkanouてみて実感を得るというのが目的でした。

2部構成で行われ、第1部はこの「理念と経営」を創刊から編集しておられる背戸逸夫編集局長に、雑誌発刊の経緯から何を学ぶことができるのかを語って頂きました。

腑に落ちる

背戸編集局長は大学卒業後にマスコミの世界に入られ多くの作家、政治家と関わりを持たれ、出会われた方々から多くの言葉、「自分の人生から絞り出すような言葉」「自分の人生をかけてきた言葉」「その人が一生かけて学んできた言葉」に接して来られました。

seto1ダイエー創業者の中内功さんに亡くなる2年前に大阪のホテルでお聞きになった『人間生きているうちや』、作家の松本清張さんに広島のホテルのエレベーターで肘をつかまれて言われた『人間の最高の作品は、自分自身の生き姿』というのはそれぞれの方との会話の中で発せられたものですが、正に「人生から絞り出された言葉」であり、背戸さんにとっても「人生の護符」となっているということです。

背戸さんはこれらの言葉を紹介してくださる時には数十年前のことであるにもかかわらず、とても鮮明に当時の様子を含めてお話くださいました。

背戸さんが仰るには「腑に落ちる」言葉との出会いはその時の光景からすべてまざまざと心に刻まれるのだということでした。
それは「理念と経営」という雑誌編集に携わることになったことにおいてもやはり同様に「腑に落ちる」こととの出会いがあったからだということでした。

背戸さんはそれまで経営誌に携わるとは思いもよらず、また「経営」というものに無知だと自覚していたので、依頼があった時には、雑誌の編集の仕事ならこれまでの経験からできるだろう、という程度にしか考えていなかったということです。

2005年6月10日に田舞さんと初めて会い、「理念と経営」という雑誌の主旨、また理念、経営とは何かということをお聴きになりました。
理念とは「社会のお役に立つこと、人の役に立つ人財を育てること、そしてありがとうと言われる会社にしようという志」であり、経営とは「組織として永続していく責任がある、そのために適正利益を確保していくこと」だと言われ、さらに理念と経営とは車の両輪のようなものだと教えられます。

そして、田舞さんからは創刊の1年間は松下幸之助創業者の経営哲学、人間哲学を多面的に掘り下げて欲しい、との依頼を受けます。
しかし、背戸さんは当時松下幸之助創業者のことをよく知りませんでした。
そこから松下幸之助創業者についてのたくさんの本を読まれたのですが、「経営の神様」と言われた表面的な人物像はわかっても、その凄さや偉さがどうしてもよくわからない。背戸さん曰く「命」として伝わってこないので、人間「松下幸之助」がわからなかったということでした。
「命」としてわからないとそのことを編集することはできないので、最初からピンチに陥ってしまわれます。

すると田舞さんから松下幸之助創業者の生家に行ってみてはどうかと言われ、2005年7月30日和歌山の松下幸之助創業者の生家を訪れることになるのですが、そこで奇跡が起こります。

後に2009年9月号の巻頭対談でお会いしたノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんから、学問を支えてきた信念は「考えて、考えて、考えて、考えて、考え抜けば神が降りてくる」という言葉であるとお聴きになったのですが、正にそれを体現したということでした。
背戸さんご自身も「理念と経営」の編集について、松下幸之助創業者の哲学を掘り下げることについて悩みに悩みぬいていたからこそ「神が降りてきた」わけです。

生家には松下幸之助創業者のお墓があり、そこに御影石が3つ4つあり、周りに玉砂利が敷いてあります。
当日の外気温度が43度、立っているだけでも汗が流れ落ちてくるような暑い日でした。
お墓に行くと、その御影石の上に四つん這いになって御影石をタオルで拭いているご婦人がいました。
私が行くと驚いて立ち上がられたのですが、着ているものが汗で身体に張り付いている。

seto2前髪が3本垂れているのですが、その髪の先から玉のような汗が垂れている。

最初はお墓を守っている管理人さんかと思い『大変ですね、管理さんですか?』と尋ねました。
するとそのご婦人は『青森から夜行バスで東京に行き、乗り継いで今日ここに来ました』と言われる。
『松下幸之助さんとどういうご関係ですか?』と尋ねたところ、
『私は39年間仙台松下でお世話になりました。今こうして幸せに暮らしているのも松下幸之助さんのお陰です。一年に二度来ることができればいいのですが、年金生活ですから一度が精一杯なのです。毎年欠かさずお墓の掃除に来ています』と言われました。

この方は今年71歳になられましたがお元気で青森にいらっしゃいますが、とにかく彼女の松下幸之助創業者に対する「敬慕」の思いに曇りが無い。そしてこのご婦人らしい流儀で松下幸之助創業者の多年の恩義に対して墓前に花をいけている、その姿に感動したわけです。

松下幸之助という人は本当に偉い人なんだとその「命」に触れ、腑に落ちました。

背戸さんはさらにこのご婦人は松下幸之助に2回か3回しか会ったことがないのですが、入社式の時の松下幸之助創業者の一言が彼女の胸に刺さり、それで自分はこの会社に生涯を捧げようと思った、ということを聞かされます。

背戸さんは帰りの途で「本当に深い理解というのは全人格的な変革をもたらす」と思われます。「わかる」というのは「変わる」ことであり、変わらなければ「わかった」ことにはならない。この一度のご婦人との出会いが転機となって私の人生を変え、今日の私を支えていると背戸さんは教えて下さいました。

未来工業での取材で社長から「経営者の使命は社員を感動させることにある」とお聴きになりますが、正にこのことだと背戸さんは理解されたとのことでした。そして、人間が生きるということは「良い人を見つけることであり、良い人に見つけられること」だと、この「理念と経営」の取材を通して、これまでの10年間を通して感じていることだと教えて下さいました。

「生きる」ということ

seto4背戸さんが45歳の時に取材でイスラエルへ行かれた時のこと、宿泊したのは修道院を改装したホテルだったのですが、部屋のドアに文字があり気になったので通訳をしてもらうと「ヘブライ語の経典に書かれていることで、”生きるも厄介、死ぬも厄介”と書かれています」と聞きます。
日本は仏教の国なので「生老病死(四苦)」と言いますが、人間というのは万国共通、同じ情念を持って生きているということを感じられます。

人間は一人で生きていけない、人間は人間関係の中でしか生きていけないから厄介なのです。そして人間は「関係と関係の中で人は生かされている」。
企業でも経営者と社員という関係の中でそれぞれが生かされていくという構図があり、色んな孤独、色んな悩みを抱えて人は生きているのだと背戸さんは仰います。

このことについて作家司馬遼太郎さんとある時の大阪北新地での出来事をお話してくださいました。

夕方の北新地、仕事帰りのサラリーマンや着飾ったホステスさんが行き交っている中、突然司馬さんは「あそこにゴミ箱はありますか?」と聞いてきた。確かに先にゴミ箱があるのですが、さらに続けて「キレイですか?」と聞いてきた。
背戸さんには何を言っているのかわからなかったのですが、司馬さんは「蓋を開けたらかないまへんな」と言われました。これは「人間は心の中を覗いたらかないまへんな」ということのようでした。
そして最後に司馬さんは、夕方の盛り場に向かうサラリーマンや華やかな女性たちを見て『人間忙しいということはええ事ですな』と言われました。

人間というのは常に悩みを抱えているわけですから、暇になるとその悩みと常に向き合わなければならなくなる。これは気が狂いそうになる。だから忙しいというのは、そういう悩みと向き合う時間を小さくしてくれるのです。

別の日にやはり北新地を歩いていて、司馬さんがタバコを買おうとしたところ小銭が無かったのですが店員が「(大きなお札でも)良いですから好きなモノを言って下さい」と言って1万円札を受け取りタバコを売ってくれました。そして帰りに元気な声で「ありがとうございます!、またよろしくお願いします!」と言ってくれたのです。
その帰りの道すがらふと立ち止まって『やっぱり大事なのは、生き生きと暮らしている人間と、血の通った言葉ですな』と言われたのですが、この言葉も背戸さんの人生においてよく思い出される言葉だということでした。

言い続ける大切さ

またある時、背戸さんが昼食時にお寿司屋さんのカウンター席に座って、横の席に「理念と経営」を置いていたことがあったのですが、隣りにいた方が「この雑誌を見せてもらってもいいですか?」と言ってきたことがありました。
話してみると食品加工会社の三代目の社長さんだということでした。その方は、祖父から「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」という出身地である山梨の戦国時代の有名な話を何度も聞かされて育ったので、この言葉の意味をわかりやすく社員さんに伝えたいのだと言われた。

その会社は女性のパートさんもたくさんいて、皆仕事熱心ではあるが、お化粧もしてこないし、暗くて会話も弾まない。だから「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」ということを理解してもらい、この社風を何とか変えたいと思われました。
そこでわかりやすい別の言葉に変えることを考え「悲しい時も爽やかに、苦しい時も美しく」とし、それを等身大の木の板に墨で書いて従業員室のドアを開けた正面に立てかけられました。さらに入った先のところに「今日も笑顔を忘れないで」と書かれた貼り紙があり、これらの言葉を毎朝唱和することにしました。

これを言い続けて、5年過ぎたところで社風が変わり、今まで化粧をしてこなかった女性が化粧をしてくるようになり、会話も弾むようになったということでした。

背戸さんはこの話を聞いて、先ほどの司馬遼太郎さんの「生き生きと暮らしている人間と血の通った言葉」とそれを言い続けることの大切さを知ったということを教えて下さいました。

この「言い続ける」ということについては、日本電産の永守重信さんと京セラの稲盛和夫さんの追っかけをした際にも強く印象に残っていることがあるということでした。

お二人の追っかけをしたのは、それぞれどれだけ偉いのか、どこが凄いのかを自分の肌で感じてみたいという好奇心からのことでしたが、二人に共通することは「エネルギーのレベルが非常に高い」ことと「同じことを言い続ける能力が高い」ということがわかったそうです。

普通の人は同じ内容のことを同じ言葉で同じ口調で百回繰り返せない、途中で諦めてしまうのですが、永守さん違います。永守さんは社員さんに「これできるか」と尋ね、社員さんが「できない」というと、「できる」と百回言わせ、それでもまだ「できない」というとさらに百回言わせ、これを3回繰り返すとさすがに「やります」ということになる、そこまでやり続ける。
普通の人は途中で妥協をするのですが、妥協をしない「エネルギーレベルの高さ」なのだということです。

10年間の経営者への取材を通してこのような「志に向かう一途な魂の燃焼」というのが経営者の人間的魅力の根本になっているということを学ぶことができたということでした。

学び続けること

人生は死ぬまで勉強だと言い、勉強しない人間は挫折していく、伸びないと言います。
背戸さんは29歳の時、縁あって田中角栄の番記者をすることになり、この時角栄さんから教わったことはいまだに人生の大きな基本的な柱となっていると仰います。

ある講演会に同行し、宿で一緒に風呂に入った時のことです。背中を流している時に母親の話を聞いたが、これほど染み入る母の話を聞いたことがなかった。自分はこのように母のことを語れるだろうかと思えるほどの話でした。

また、教えてもらったことで書いて自宅の書斎に貼りだし、今でも実行されていることがあります。それは「約束したら必ず果たせ」「できない約束はするな」「蛇の生殺しはするな(中途半端なことはするな)」「借りた金は忘れるな」「貸した金は忘れろ」の5つです。

さらに角栄さんは湯船に浸かりながら教えてくれました。
『人間は出来損ないだ、だから皆失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかだ。政治家を志す人間は人を愛さなければいけない。政治は愛だ』と。

背戸さんはそれまで「愛は人を変える」と思っていたのですが、「理念と経営」の取材を通じて学んだことは「愛は人を作る」ということでした。学校に背を向け、社会にも背を向け、警察のご厄介になったような人が大経営者になった人が何人もいる。その人達の縁を辿って行くと、一人もしくは複数の人間との出会いがあり、その人間の「愛」に育まれてその経営者が今日ある。
角栄さんに教わった「政治は愛だ」という言葉を経営に置き換えれば「経営は愛だ」ということが言えるということを今になって学ばれたことを教えて下さいました。

さらに、その時にあった1年生議員とのやり取りからも学びました。それは「選挙に当選する秘訣を教えてほしい」というお願いだったのですが、角栄さんは「1万回辻説法をして、それでも当選しなかったら教えてやる」と言ってその場で教えなかったそうです。
彼は官僚出身の議員でしたが、角栄さんが言うには「これまでの人生を、教えられて覚えて学校に入り、それだけで社会に出た人は使い物にならない。苦労した人には敵わない。1万回やった人間は私のところには来ない。1万回本当にやればどうすれば当選するかがわかるはずだ。それを自分で悟らなければならない」そして最後にこのように言ったのです。

『流した汗と振り絞った知恵の分だけ結果が出る。選挙に僥倖は無い。』

これを経営に置き換えると「経営に僥倖は無い」つまり経営に偶然は無い、経営も努力した結果なのです。

人生を変える言葉

このようにたった一つの言葉ですが、その人の全人生を変えるだけの力を言葉は持っているのです。

TDKという会社を世界的な企業にした素野福次郎という人が経営が傾いた時に松下幸之助創業者のところに出向いたことがありました。ただ、秘書からは忙しいから時間はありませんと言われ質問をたったひとつに絞ったそうです。「経営のコツは何ですか?」

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松下幸之助創業者は一言『まず、人の話をよく聴くことです』とだけ答えられました。

素野福次郎さんは会社に戻り、その言葉を紙に書いて社長室に貼り、それからは毎朝出勤すると大きな声で「まず、人の話をよく聴くことです」と言ってから仕事につくようにしました。彼はこの言葉で目覚め、これまでの自分の経営を反省し、会社を立て直し、世界的な企業にまで育て上げたということです。

背戸さんにも人生で最も大切にしている「年賀状」があることを教えて下さいました。
それは作家の檀一雄先生から頂いた年賀状です。

背戸さんは月に一度は石神井公園にある檀一雄先生の自宅を訪れていたのですが、ある時歳を聞かれ月末で35歳になることを伝えると、お祝いをしてやるから壇先生の実家のある福岡に来いと言われました。

福岡のあるお店で食事を御馳走になり、壇先生から「君はこれからどうしたいんだ?」と訊かれます。
このような大作家と膝つき合わせて話す機会など滅多にないことなので、背戸さんは思い切って「人の心を癒やすことができる文章を書きたいのです」と伝えました。
すると壇先生は焼酎の入ったグラスに伸ばした手を引かれ、両肘をカウンターにつき、目を閉じてじっとしてしまわれたのです。

背戸さんはすぐに(まずいことを言ったかな)と思われます。
しばらくすると壇先生は目を開いて私の目をまっすぐに見て、こう仰いました。

「雄渾な気迫を持って生きて行きなさい」

その時は言葉の意味がわかりませんでした。「人の心を癒やしたい」と言っているのに、なぜ「雄渾な気迫」という勇まし気な言葉を言われるのだろうか。

そして1月に壇先生から、今でも最も大切にしている年賀状を頂いたのですが、そこにはこう書いてあったのです。
「新年おめでとう。うじうじとためらったりせず、自信を持って奮進して、そして、挫折にめげず、前へ前へと、力を尽くして進んでいく気力と体力にかけよ」
この年賀状は額に入れて自室に飾ってあるということです。

seto5shaji背戸さんが「雄渾」の意味を大漢和辞典で調べたところ「艱難辛苦にじっくりと耐え続けること」とあり、これが本質的な意味だということを知りました。
壇先生はその時の背戸さんに「人の心を癒やす文章を書きたいのなら、それは簡単なものじゃない。艱難辛苦にじっくりと耐え続けるだけの精神を持っていなければ達成できないんだよ」と仰っていたのです。

最後に背戸さんはお話して下さいました。

私の人生には、折にふれて私の人生を支えてくれた言葉が現れました。
私はその言葉を抱きしめるようにして生きてきました。
そして今のそういう気持ちで「理念と経営」を創り、皆さんに感動を伝えられる雑誌を作りたいと考えています。
人は関係と関係の中で生かされている、その関係と関係をつなぐのは言葉です。
大事なのは言葉であり、豊かな言葉を手に入れた人が幸せな人だということを申し上げて締めくくらせて頂きます。

背戸編集局長、貴重なお話の数々、本当にありがとうございました。

>>>10月例会 第二部はこちら

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