今回は商業デザイナーとして世界的に有名な深澤直人さんから「広報のあり方」についてお話しいただきました。

描くことでコミュニケーションを図る

今日の会場である株式会社バンビさんは、深澤講師が1980年に入社した諏訪精工舎(現セイコーエプソン)でお付き合いがあり、深澤講師も少しだけですが、幸いにも時計のデザインもされたそうです。
深澤講師はセイコーエプソンでは新製品の新しいデバイスの開発に携わり、1人でそれを回していました。
セイコーは東京オリンピックで公式時計を担当し、その時に使用されたプリンター付きのストップウォッチという画期的な製品によって一躍有名になりましたが、深澤講師は当時入社したばかりの25〜26歳でそれら「新しいビジネスをデバイスから作る」という先進性のある部署に配属されていました。
当時の社長である中村恒也氏に可愛がられ、社長から直に仕事が降りてくるという形で様々な新しいデバイス開発に携わりました。

そのうち世界のデザインが見えてきた深澤講師の心には、日本とは異なる世界のデザインに憧れが湧いてきました。
30歳を過ぎ、このままここにいたらデザイナーとしては終わってしまうという危機感のもと、アメリカのシリコンバレーに飛び込むことにしました。
当時のシリコンバレーは急成長していた時代で、深澤講師はサンフランシスコにある会社にポートフォリオ(履歴書)をいきなり送りつけて入りました。
英語も話せない日本人がいきなり入ることができたのか、それはセイコーで新しいデバイスを中心とした開発商品の絵をたくさん描かせてくれた、モデルをたくさん作らせてくれたことで、シリコンバレーにいる人たちからすると驚いたみたいだ、と深澤講師は言います。
また、英語がまったく話せなかったことから、コミュニケーションは描くことしかできませんでしたが、逆にそれが良かったとも。

描くことから物を作ること、モデルを作ることになり、それが「物を作ることによって全ての人の思考が同じマインドになる」こととなり、良い悪いがすぐ決まるということにつながりました。
最初はモデルショップと言ってモデルを削る、それをラピッドプロトタイピングと言い(今でも3Dプリンターの名前になっている)ますが、当時は考えたり話すよりもできるだけ早く形にしなさいというようなことでした。
今では商業デザインの世界では当たり前の「インタラクションデザイン」という言葉もその会社が生み出したもので、身近にある紙などを使って、開発しているデバイスやアプリケーションの動きを実際に再現するというものです。
子供の工作のようにすべて紙でつくってみる、その時に同様のことを行いながら急成長を始めたのがappleとかマイクロソフトです。
深澤講師は、時計会社に入ったけれど新しい電子機器をデザインさせられ、それを一生懸命やっていたら偶然にもシリコンバレーの最先端のテクノロジーに参加できてすごくためになったと言います。

アメリカで名を馳せた深澤講師はその後ヨーロッパでも有名ブランドから声がかかりインハウスデザイナーとしても活躍。
ビジネスの中核のデザイナー、デザインコンサルタント、そしてインハウスデザイナーとして、幅広く深くデザインに関わってきた深澤講師は現在も第一線でデザインの仕事をしながら、母校である多摩美術大学の副学長に就任し、日本の枠を飛び出して世界で活躍できるデザイナーの育成にも力を入れています。

暗黙の予測

今回のテーマである「広報の原則〜伝わる製品とサービス」について、深澤講師は最初にデザインをはじめとするものづくりや仕事に対する「一番の褒め言葉」は何かを示しました。
それは「あーそれそれ、それが欲しかったんだよ」という言葉でありリアクションだということです。

私たちは製品やサービスに対して、経験や行動を通じて必要なものの形、機能などの知識を持っていますが、それは言語化されていないのにそれぞれが共通して知識として持っています。
例えばボールペンを見た人はそれが書くための道具であることや書いたものが消えにくいという性質、機能を知っていますが、それを普段言語化せずに使っているので、ボールペンを見せずにそれが何であるかを説明することが難しい。
この、それぞれが経験によって得た主観的な知識、わかりやすく言うと「暗黙のうちに同じことを理解し合ってる」ことを「暗黙知」と言います。
この暗黙知が製品やデザインの良し悪しの原則の一つであり、裏を返せば経験を通じて必要なものの形、機能は知ってるものだという前提がないとデザインも製品作りもできないということです。

「デザインとは、個人的な考えを表現するものではない。
私がデザイナーで私の作品だ、という個人的な考えを表現するのはない。
人々が感じ取ったものを具体化すること、あるいは、私たちの生活や行動によって規定された形を、寸分の狂いもなく具現化すること」

もし誰の暗黙知にも無いようなものを作ったとしても、それを見た人からリアクションは生まれることはありません。
人は暗黙知を元にした「暗黙の予測」をすることで、目の前に出された製品やサービスに対してリアクションをするということです。
つまり「相手が暗黙知で考えてることをちゃんと理解してるかどうか」がものづくりの鍵になる。
デザインだけでなく製品やサービスでも「似ている」ということがありますが、数ミリ単位あるいはほんの少し色が違うというだけで暗黙知から外れてしまい全く異なるリアクションが返ってくることから、「似ている」という捉え方は間違っている。
デザインにおいては、「相手が思い描いているその輪郭をしっかり引けるかどうか」だと深澤講師は言います。
では、どうすれば相手の暗黙知を理解することができるのでしょうか。
それは暗黙知の元となる経験や行動、つまり経験してないと相手と自分が同じ考えであるかはわかりません。
裏を返せば、経験したことは大体同じような理解と暗黙知を形成するので、相手の考えにたどり着くということです。

人と物の関係

深澤講師は大学でデザイナーを育成する中で、デザインが人に与える影響を生態心理学や哲学からもアプローチして教えてているということです。
その代表的な考え方を教えてもらいました。

「意識の中心」

物には誰もが必ず思い描く意識の中心というものがある

ものには「意識の中心」というのがあると深澤講師は言います。
Center of Awareness(気づきの中心)とも言いますが、これはものに対して「誰も必ず思い描く」意識ということで、人間とものとの関係を解こうとする考え方です。

例えば、紅茶を飲むすべての人にとって一番の関心事は、「その紅茶が一番美味しい飲み頃はいつか」ということです。
つまり紅茶の意識の中心は、その紅茶が一番美味しい「飲み頃」です。
ティーバッグにさりげなくそれがわかるようなものがついていたら人は「こういうのが欲しかった」と思うでしょう。

デザイン、つまり製品やサービスとして重要なのはそれを使用する人の暗黙知に対する答え(気づき)をあからさまに訴求するのではなく「さりげなく」わかるようにすること、結果として知らせること。
これは日本人的だと言いつつも、相手にこちらの気づき「あなたのことを思っています」ということを、「そう、これが欲しかった」と感じ取ってもらうことが「サービスの原則」であると深澤講師は言います。

「意味は自明である」

意味はそのものが発する人に向けての価値である。
あらゆる全てのものには意味がある。
「あらゆるもの」は、対象として考えている何かの全部をいう。
「自明」とは「わかりきったこと、当たり前、見ればわかる、考えなくてもわかる」という意味だ。
「あらゆるものは自明である」は 17世紀の哲学者数学者のルネ・デデカルトの言葉だとして一部の名言集などに収められている。

例えばペンはものを書く道具ですが、ペンで頭を掻くこともあります。
これは、ペン自体はものを書く道具であることを言っている、つまり誰もがそれを理解していますが、頭を掻くものであるとも言っているということ。
ペン自体は言葉を発しませんが、私たちはペンからものを書くこと以外の使い方、つまり物が持つ意味を知っているということなのです。
「あらゆる全てのものには意味がある」というのは、物が持つ意味は誰かの頭の中にあり、だからこそ物は存在しているということです。

これを製品やサービスで考えてみると、同じ製品であっても使う人によって意味や使い方は異なってくるということになります。
ただし、これは全く新しいものを作ろうということではなく、例えばペンで頭を掻くことから「頭を掻くスティック」を作る、ということではありません。
あくまでペンは書く道具としての機能を持ったまま、誰かの頭の中つまり暗黙知からペンの「新しい解釈」を見つけるということです。

「共感と感情移入」

価値観を伝えるということは、暗黙を予測できる力が必要。
共感を得るということが広報によって価値観を伝える原則である。

これまでの話でわかるように、製品やサービスはそれを受け取る人によって意味すなわち価値は変わってきます。
だからこそ人の暗黙知を予測できなければ、製品やサービスの持つ価値を正しく伝えることはできないということ。
受け取る人の物に対する意味はその人の価値観によって変わり、その価値観が共通していることがわかった時に共感が生まれます。
人の価値観を知り、自らの価値観を伝えることで共感は得られるということです。

「共示」

共示とは、暗黙の合意によって成立している。
発する側と受け取る側が共通の思いを抱くということであり、イメージを具体化することである。

製品やサービスの使い勝手や使い心地というのも価値の一つであり、例えば物の大きさや重さはコンマ何ミリという微細な単位で物の評価が大きく変わります。
深澤講師は「環境物は全て人間の行為の中に埋まっている」と言い、先ほどの「物が持つ意味」と同様にそれを使う人や使う環境によって物の価値は変わるので、製品やサービスをデザインする時は「行為の中にデザインをはめ込む」必要があるということです。

これは感覚的なものでもあるため、例えば手に伝わる振動や触感などもデザイン上需要な要素になってきます。
深澤講師は過去に「換気扇のようなCDプレイヤー」というのをデザインし実際にヒットしたことがあるということですが、その際も拘ったのは壁にかけて換気扇のように紐を引くと「カッチン」という音と触感とともにスイッチが入り音楽が流れる、というところでした。
この「カッチン」という音と触感が、同様の換気扇を使ったことがある人の中で共通した記憶であり、それを具現化することで新たな価値を生み出すことができるということです。

「アフォーダンス(Affordance)」

アフォーダンスとは、アメリカの生体心理学者、ジェームス・ギブソンによって提唱された、
人間が環境から得る意味(価値)のことである。

これは先述の「意識の中心」「意味は自明」のベースとなる概念で、物を含む環境が人間(動物)に提供(アフォード)するもの、意味(価値)のこと。
例えば壁は部屋を仕切るだけではなく、そこに「もたれかかる」という行為をアフォードしていますし、床は歩くということだけでなく、そこに座り込んだり寝転んだりすることをアフォードしています。
これが意味するのは、人は環境に影響を受けることからデザイン、すなわち製品やサービスを設計する時は必ず使う人のこと、環境を考えなければならないということ。
現状より良くすということは、製品やサービスによって人の行動がどのように変わるかまでを考えることだということでした。

「ウィズアウトソート(Without thought)」

「思わず」人間は思わずにしてしまう行為というものがある。
それは、その人間の無意識の世界と考える世界とが二層のレイヤーで存在している。
無意識の行為は、自然という言葉でもあらわされる。

無意識でやることと考えてやること、これはどちらも一人の人間の行為であり、言い換えれば人は2つの世界の中で生きているということです。
無意識でやる行為は「自然に」とも言うことから、無意識の世界が自然だと言えます(考える世界が不自然ということではない)。
そうであるなら、デザイン=製品やサービスの設計も無意識のうちにする行為を通して考えようということです。

「機知」

即興の知恵。
臨機応変な対応。
ウィットに富んでいること。

機知に富む、ウィットに富むというのは冗談のことではなく、その場その時の環境・状況に応じた思わず「クスッ」としてしまう言動のこと。
これは与えられた言動に対して、比喩表現などで「知的」に返すことで、与えた相手にメッセージを「気持ちよく」受け取らせることだと言えます。
デザインは作り手のメッセージでもあるので、この「機知」がデザインにあることで、相手にメッセージに気づかせ共感を生むことができます。

美しい繋がり方

製品・サービスを開発する段階でそれらが持つ意味、人々の間でどのような存在であるかといった概念のことをコンセプトと言います。
デザインとは、言わばこのコンセプトの具体化(embodiment)だと深澤講師は言います。
よりわかりやすく言うと「ビジネスの見える化」。

人間は常に選択という行為をしているのですが、ほとんどの人が考えずに無意識に選択をしていると深澤講師は言います。
それを意識化させるためには「美しい生活してますか?」といった質問を通して考え、対話を通してそれを意識化つまり見える化することが必要だということです。

インスタグラムの投稿などには「美味しいお店」や「かっこいいインテリア」などが溢れていますが、そのほとんどが「美しい生活をしましょう」という投げかけになっています。
今回のテーマである「広報の原則」から考えた場合、広く人に伝える時の「美しい繋がり方」とはどういうものかを考えるべきだと深澤講師は言います。

例えば、わいわいがやがやしてる中では、何も言わないで立ってる人が一番目立ってるということもあります。
「美味しいお店」や「かっこいいインテリア」など様々な情報が入り乱れている中にあって、何が選択されるのかは伝える相手と伝わり方を考えること、すなわち伝えたいものと伝える相手がフィットする「美しい繋がり方」を考えることだということです。

美しい生活

現在日本には海外からたくさんの観光客が来ていますが、それは経済的に成功した国で、安定して安心安全の国だからだと考えられています。
では、日本人の生活は豊かだと言えるでしょうか?
確かに経済的な指標であるGDPで見た場合、日本は明らかに先進国です。
でも、深澤講師曰く「日本より経済的に貧乏な国でも豊かにうまいもの食って生きてる人はいっぱいる」。

これは他の先進国同様、経済的に成功している国は「豊かさ」を数字でしか表さないからで、日本は特にそれが顕著でそれ以外の「豊かさ」を示すものがないからだと深澤講師は言います。
例えばブータンのGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)といった豊かさを表す「指標」がなく、GDP(国内総生産)のようにすべて数字=お金で豊かさを測ろうとしている。

そのため、海外から見ればこれほど安定してる国はないと言われますが、自分たちはどうかと問われても「豊かだ」と答える人がほとんどいない。
海外を見ると、老後にワイナリ買いますとか、老後は大きなヨットを買って世界中を旅する、という人がたくさんいるが、その人たちが日本人ほど稼いでいるかというと、そんなことはない。
小さな家でもリッチに暮らしてる人がたくさんいて、そういう場所や選択肢がたくさんあると深澤講師は言います。

例えば日本はいいソファは買わないけれど高級外車を買うというようなことで、そこに「でこぼこ」があり、それはつまり「豊かさ」をお金で計算してるからだということです。
高級外車を買う人は自分の地位とかサクセスをアピールしたいということもあるかもしれない。それも当然のことであり、いいクルマで確かにかっこいいから。
ただ、それと住んでる家とのバランスが合わない場合もある。

そこを例えば、軽自動車に乗って立派な大きな家に住んでる方が「ちょっとかっこいい」、庭に1本木があった方が「ちょっといいんじゃない」、といった考えに繋がるの方が「美しい考え方」だったりする。
そのような考えにならないのは、何が「いい生活」なのかを図る基準がないからだということ。
経済的な上下だけで「いい生活」とか「心地いい生活」、「感じのいい暮らし」などに置き換えたとしたら、それは間違った解釈であり「お金」でしかない。

日本人には生活の指標というのがないことがまず大きな問題だと深澤講師は指摘します。
ただ、いきなり全部解決しようとはせず「小さな秩序」から、会社や組織とかを考えないでまずは自分の身体の周りから始めようと深澤講師は言います。

大きく変えるのは小さいスイッチ

デザインとかアイデアというのは、小さなものだと思った方がいいと深澤講師は言います。
「大きく変えようとする大きなハンドルではない」と。
すごく大きなタンカーは、とても大きなハンドルみたいなもので動かしているわけではなく、スイッチ1個、ダイヤル1個だけで大きなタンカーを動かしている。
小さいスイッチでタンカーは大きく方向を変えまる。

世界を変えようとしても世界は重いものなので、このタンカーのようにゆっくり徐々にしか変わらない。
でも、このスイッチを誰かが押さないと何も変わらないわけであり、それがができるのがデザインという職能だろうと深澤講師は考えていると言います。
もし製品開発とかサービスに携わっているのであれば、その小さなスイッチが一体どこにあるのか、押すとみんなが良い方向に行くというスイッチを考えることであり、それが先述の気づき(Center of Awareness)だということです。
つまり、気づきや教示、エンパシーや共感といったものの中にあるということでした。

影響しあうことが大きな力を生む

「創発」

創発とは、単に部分の特性の総和ではない、全体としての特性が現れることを指す。
物理学や生物学で用いられる「創発」という言葉に由来し、自律的な要素が積み重なって組織化され、個々の要素の振る舞いを超えた高度に複雑な秩序やシステムが生まれる現象や状態を指す。

これを簡単に言うと、一個一個は単純であっても、たくさん集まることによって大きな「うねり」が生じ、複雑な秩序やシステムを生み出す、この現象が創発ということ。
重要なのはたくさん集まること、積み重なっていくということであり、その集合体が出来上がっていく過程において生じる秩序や「うねり」が、あるところで劇的な変化となるということです。

例えばイワシの群れが一塊となって、まるで大きな魚のように泳ぐ姿を映像や水族館などで見たことがあるかと思いますが、これも生物界における創発の一つです。
小さなイワシがなぜ集まるとこのようなまとまった動きができるのは、はっきりとしたことはわかっていません。
ただ、この動きの中で一番興味深いのは、このイワシの群れの中にリーダーが存在しないということだと深澤講師は言います。

つまりこの創発とは、個々の活動(自律的な要素)が集まりそれぞれが少しずつ影響しあうと、次第に個々の活動が秩序立ったものとなり、ある時それは大きな「うねり」となって現れるものであり、リーダーや起点となるものがあるわけではないということ。
それだけに創発は私たちのくらしの中に起こりうることであり、私たちの中にも大きな「うねり」、大きな変化を起こす力があることがわかるということです。
重要なのは、関わりを増やして少しずつでも影響しあうことであり、それを繰り返し行うことだということです。

深澤講師はデザインを哲学的、生物学的な見地からもアプローチすることで、製品やサービスが自然と落ち着くところ、つまり共感がどのように生まれるのかを教えてくださいました。
これこそが「広報の原則」であり、広報を行う上でのあり方をアカデミックに教わりました。

深澤直人講師、大変貴重なお話ありがとうございました。
ご参加いただいた皆様にも改めて感謝申し上げます。